院長の独り言 127 ; 50年前の山陰旅行(パート2)
やはり興奮していた事に加えて、寝台列車に乗るのが初めてと云う事もあってか、グッスリと寝むれたのは2時間程度で、直ぐ眼が覚めてしまいました…。
仕方が無いので、これから訪れる島根、鳥取、山口の名勝、名物などのガイド本を読んでやり過ごす事にしました。
京都を通過するまでは、窓外は漆黒の暗闇で、何も見る事が出来なかったのですが、しばらくすると日本海側に列車が到達しました。
余部に在る、高さ42mの断崖絶壁の間を渡る、日本一高い鉄橋を通過する頃には随分と薄明るくなってきて、眼を凝らして景色を見ると、日本海がボーッと霞が掛かった中に浮かんで見えてきたのです。
友人と思わず歓声を上げたのは言うまでも有りません。
その後、この鉄橋を通過していた列車が突風で落下して、大勢の犠牲者を出した痛ましい事故は、この旅行よりずっと後の事ですが、その事故が原因で、強風による事故防止の為に、新しい鉄橋に造り替えている工事が現在進行中で、当時の赤い名物鉄橋の姿を今は見る事が出来ません。
それにしても、二等寝台の乗り心地は良くないと云うか、常に上下左右にかなり揺れて、快適なゆりかごの様にはいきません…。
しかし当時は、若かったと云う事も有り、徹夜麻雀も平気でこなしていた位です。
2時間寝れば十分、疲れなど全く感じないのです。
陽が昇り、明るくなってきて、更に周りの景色が見えるようになりました。
朝日に照らされて、波面がキラキラと輝いて見えるのですが、よく観察すると、いつも見慣れている太平洋の海の色より濃い蒼色で、何となく寒々しい暗い感じがするのです。
後で聞いたのですが、地元の人によると、結構、海が荒れる日が多いとの事でしたので、日本海と太平洋ではあらゆる点でかなり違った海なのでしょう。
朝8時になり、終着駅の出雲駅にゆっくりと到着しました。
まずは無事、山陰の地に第一歩を踏み出したのです。
朝食もそこそこに出雲大社に向かって出発進行!と相成った次第です。
出雲大社は縁結びの神社だそうですが、伊勢神宮の明るい感じの『陽』に比べると、出雲大社は清楚な感じの『陰』で、縁結びの御宮とは不思議に感じたのですが、祀られている大国主大神が多くの苦難を乗り越え、国を創った大地の神と云う事で縁結びの神になったのでしょうか。
ちなみに伊勢神宮は太陽神、天照大神です。
きっと、この出雲神社で夫婦(めおと)になったカップルは幸せ一杯になる事でしょう。
出雲大社の建物は大変高い塀にぐるりと囲われていて、案外、小振りに建てられていたのは意外な感じを受けました。
今回の旅が無事で終わるようにと、シッカリとお参りを済ませて、次の目的地の鳥取砂丘に向いました。
鳥取砂丘の思い出はと云うと、一口で言うと『外国に来た。ここは日本では無い…』と感じた事でした。
バスで砂丘の入り口に着き、辺りを見渡すと、遠くの方に砂丘が見え、その丘に米粒ぐらいに小さく見える観光客が点々とその頂を目指して登って行く姿が見えるだけで、海は全く見えないのです。
我々も必死に砂丘を登って行ったのですが、結構な重労働でした。
砂丘と云うよりは砂の山といった感じで、足元が覚束きません。
そして山を登りきった途端、突如として日本海が眼前に広がったのでした。
汗ばんだ額に心地のよい突風が吹く中、遠くの沖の彼方まで見渡せて、しばし紺碧の日本海を堪能出来たのが良い思い出です…。
(次回に続く)