院長の独り言 126 ; 50年前の山陰旅行(パート1)

大学2年生の夏休みに、約2週間かけて友人と2人、山陰地方を貧乏旅行した時の話です。

勿論、まだ新幹線は走っていなかった時代の事です。

夜行列車の出雲号に乗って、東京駅を夜8時に出発しました。

当時、この出雲号は大変人気があって、随分前からの乗車予約が必要でした。

苦労してやっと取れた寝台急行であり、しかも寝台列車に乗る事がお互い初めての経験だったので、前日からかなり興奮したものです。

それまでの旅はと云うと、一番遠出でも東京—大阪間、上野—仙台間をウロチョロしている程度で、本州から出た事はありません。

まして、10時間以上の電車での移動はその時が初めてでした。

大学生の頃は、京都や大阪などの関西地方を訪れるのも、東京から随分遠いと感じたものです。

出発前に、九州出身の同級生の話を聞いても、一旦、上京すると、実家に帰る事が物凄く面倒になるとの事でした…。

実際、当時、東京—博多間は急行でも20時間以上掛かっていたのです!

現在は、新幹線に乗れば東京から九州まで約7時間で行けてしまうのですから本当に便利になった反面、情緒感が無くなったと云うか、心にドンとくる旅情など、夢のまた夢になってしまいました。

ドックイヤーと言われている昨今(一部の業界ではラットイヤーなどとも言われているようです…)、今となっては不便さはありましたが、ノンビリと旅を楽しめなくなった寂しさを感じ、なおさら大学生の頃の貧乏旅行が懐かしく思い出されます。

夜8時に東京駅をガタコトと動き出した、寝台急行出雲号に話を戻します。

車窓から見るネオン輝く夜の東京はいつもと違い、何となく切なく感じたのはどうしてなのでしょうか。

直ぐ寝てしまうのも芸が無いので、友達と二人、暫く外の景色を楽しみました。

横浜、静岡と進んで、名古屋に着いた辺りから眠くなってきたので、これからの旅がどんな展開になるのかワクワクしながら、夢の世界に入ったのでした…。

(次回に続く)