院長の独り言 107 ; デジタル化の今昔

平成に変わる少し前の昭和62年春に、初めてパーソナル・コンピューター(以下、パソコン)なるものを購入しました。

現在のパソコンと比較すると大きさと云い、性能と云い、あまりの違いに今更ながら驚かされます。

まだインターネットや電子メールは一般的では無かった時の事です。

パソコンは、ワープロと電気計算機を足した様なものでした。

ただし、頑張って付属のソフトウェアを駆使すれば単純な図形も描けましたし、更には専用のソフトウェアを購入すれば動画も見る事が可能でした。

値段は安売り店で40万円程度と、かなりの高額であったと記憶しています。

約50年前、大学の医局にいた頃、タイプライターは存在していたのですが、当然ですが英語を書く以外に使用出来ませんでした。

昭和60年頃になってワープロが発売当時よりぐっと安く手に入る様になったので、物は試しと思い、早速、購入して使ってみたところ、病みつきになってしまったのです。

小生は生まれつきのサウスポーの為に、子供の頃に箸の使い方や文字を書く事を、母から強引に右手だけを使うように指導されたのです。

母も左利きでしたが、やはり自分の母親に矯正されたそうで、右手で裁縫でも、包丁を使う事も難無くこなしていました。

特に、字は大変上手に書いていました。

私はと云うと、どうにか右手で箸を使う事は何とかなったのですが、どうしても右手で上手く字を書く事が出来ず、人前で文字を書くのが大変なコンプレックスでした。

自分の字体は小学校から大学までの学生時代、常に印刷の字のような真四角な字を書いて誤魔化していたのです。

書く時間も右利きの人の何倍も掛っていました。

だから和文ワープロを使ってみて、オーバーでなく、字を書くと云う『生まれ出づる悩み』から解消されて、ワープロメーカーに心から感謝したものです。

話を戻しますが、和文ワープロを使い慣れていたので、その当時、発売開始したばかりのパソコンを買う気になったのです。

現在のパソコンしか知らない人は、今から25、6年前の発売初期のパソコンを見た事も無いでしょうが、ものすごく大きい機械でした。

しかしそれでも、50年ほど前に医局にあった電気計算機から比べればビックリする程、小型化していたのです。

大学院生の時の研究で、統計処理を行う時に、電気計算機を使用していたのですが、その大きさは6畳の部屋一杯のものでした。

電気計算機と云う割には計算する時間がかなり掛かり、図体が大きいくせに今のパソコンと比べると何から何まで劣っていて『うどの大木』とはこの事です。

電気計算機から進化した、初期のパソコンは今のそれと比べて大きいと云っても、普通の仕事机の二つ分程度の大きさでした。

その後、インターネット上でのサイトの充実化が進んでから、益々パソコンが大衆化していった事は皆さんご存じの通りです。

今は、ノートパソコンが一台あれば何でも出来るし、世界のあらゆる情報をたちどころに知る事が出来ます。

文を書く事だけではなく、自作のアニメーションや映画を作る事も自由自在です。

独りでいても、パソコンさえ有れば全く退屈しません。

小生も、いま話題のiPadを購入しようと考えています。

身体を使う事がシンドクなってきた自分にとって、大人の玩具と云ったところだからです。

しかし、もし自分が子供の時にパソコンが実在していたらどうだったのだろうかと、この頃ふっと考える事が有ります。

この頃の子供達はゲーム遊びにのめり込んで、身体を使った遊びをあまりしないそうですが、これも世の中がデジタル化したからでしょう。

世の中あまりにもデジタル化して子供の遊びにも及んでくると、何となく空恐ろしく感じてもいます。

やはり小生の本音は、釣りや缶蹴り、水泳、昆虫取りなど、身体を使った田舎遊びの方に熱中している子供の方が、ずっと魅力的に思っているアナログ親父ですね。