院長の独り言 294 ; 若い人はバンカラ精神で行こう!

この頃の若い男性は、女性に負けないほどにオシャレです。
大学生が学生服を着ているのに、まず会いません。
自分が二十歳(はたち)の時は、バンカラ風(?)が当たり前でした。
あくまでも『バンカラ風』で、いくら何でも、漱石や紅葉の小説に出て来るような旧制高校の流れを汲む、汚い学生服に破れかけた学生帽、高下駄を履いて、腰には手拭いといった、正統派バンカラで学生生活を送っていた訳では勿論ありません。
50年以上前は、ほとんどの男子大学生は入学時、高校の学生服をそのまま着用していました。
今と違って、高校生の制服は、金ボタン付きの学生服が9割以上だったのです。
まだ敗戦の雰囲気を色濃く残していた時代の事です。
日本自体が貧しかったので、大学に進学する人も大変、少なかったのです。
入学しても、背広などを新調すること無く、みんな金ボタン付きの高校の学生服だったので、親は貧しい家計の事を考えると、大助かりだったに違いありません。
今では、学生は勿論、若者みんな個性豊かな服装をしています。
バンカラの学生服として残っているのは、応援団が着ている学生服みたいな学ランだけでしょう。
『バンカラ』の語源は、明治初期に西洋から入ってきた服装文化を『ハイカラ』と言っていましたが、それと対比させた、所謂、造語です。
『バン』は野蛮の蛮からきたもので、ハイカラのアンチテーゼ(正反対)と言ったところです。
『バンカラ』と言っても、戦前の若者が『野蛮』を意識して、名前を付けたのではありません。
明治維新で活躍した若き獅子に憧れたからでしょう。
武士道の質実剛健さを汲んでいると云う事で、『ハイカラ』など糞喰らえ!と、若者の大人社会に対する反抗心が『バンカラ』なのでしょう。
今では国内で、このバンカラが強く残っているのは、岩手県だけで、岩手県では『バンカラ』はイコール模範生の事だそうです。
自分はと云うと、学生服は着ていましたが、これはただ単に、親になるべく負担をかけたく無かったからです。
多分、友達たちも同じ思いだったのでしょう。
大学に入学したのですから、新しい洋服を着たかったのが本音でした。
数年後には、アルバイトで稼いだお金で背広を買い込み、悦に入っていた自分を懐かしい気持ちで思い出します。
当時は貧乏学生ばかりでした。
地方出身の学生は、汚い寮に入って我慢していました。
今の若い女性が、もしその学生寮を訪れたら、あまりの不潔さで卒倒し兼ねません。
当時の学生は、政府が十分討議しないで、ある施策を国民に押し付けようとすれば、直ぐにデモを行い、社会に訴えました。
社会の歪みに対して、真っ先に抗議をしていたのは学生だったのです。
学生につられて、労働組合などの大人が後押ししていた訳です。
一方、今時の若者は大人しくて、内向的ですね。
政府がある施策に対して、国民に理解を得ないで決断しても、デモもしません。
現代の若者は、物分かりが大変、良いのでしょうか。
しかし、社会を動かしていくのは、正義感の強い若者の意見と行動が大切だと思います。
若者の意見は、ナイーブ過ぎても、青臭くても、偏っていても、私は良いと思うのです。
若者の捨二無な情熱が、大人達を覚醒させるのです。
お洒落(しゃれ)やゲームもいいけれど、日本の将来が幸福になるように、若い人は社会の色々な問題に敏感になって貰いたいと願っています。

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