院長の独り言 182 ; 登山の技術を知らないと…
親父は学生時代、登山部に籍を置いていたほど山登りが好きだったそうです。
私が中学生の時の夏休みに一回だけ、親父に誘われて一緒に山に行った事があります。
池の平温泉にあった一橋大学の寮を職場で紹介して貰い、そこの寮に泊まったのです。
今から思えば、ほぼ毎日、親父は仕事で午前様。
多忙を極め、家族サービスどころではなく、せめてもの罪滅ぼしに、私の夏休みに合わせて休暇を取って、山に連れて行ってくれたのでしょう。
私は学生時代、友人と幾つかの山に登った経験はありますが、本格的な登山の訓練は受けていません。
幾つか登った山の中で、色々な意味で、一番記憶に残っている山は、親父と一緒に登山した新潟県の妙高山です。
妙高山の姿は野尻湖から綺麗に臨めます。
この山の麓にある池の平温泉はにごり湯で有名です。
そこの温泉地にある大学寮に泊まったのですが、寮といっても一橋大学の娯楽施設で、温泉岩風呂付きの、学生には一寸贅沢な山小屋風と云った感じの佇まいでした。
妙高山は、二千五百メートルほどある、威風堂々とした新潟県を代表する名山です。
別名、越後富士と呼ばれているほどで、日本百名山の一つ、文字通り第一級の山です。
現在はスキー場として、全国にその名が知られているのはご存知の通りです。
もともとは、『名香山』と書いて『みょうこうさん』と呼ばれていたそうですが、現在は『妙高山』と字が変わっています。
話を親父と登山した時に戻します。
妙高山頂上の展望はそれは、それは素晴らしい!との事なので、そのパノラマ風景を是非、拝みたくて、前夜は早く床に就き、翌朝は4時前に起きたのです。
寮のおばさんに早く出発する旨、宜しく頼んでいたので、食堂に行くと朝食の支度はすでに整っていました。
今では考えられないのですが、食堂に入るとハエがブンブンと周りを飛んでいて、それも半端な数じゃ無いのです。
ご飯とみそ汁、勿論、新潟ですからコシヒカリ、アジの干物に沢庵のおしんこ、あとは確か、魚の煮物が出ていたと記憶していますが、状況が状況だったので、我々は急いで食事をして、横のテーブルをヒョイと見ると、同じ料理が4人前並んでいたのです。
が、その4人前のみそ汁に2~3匹ずつ、ハエが浮かんでいたのが見えました…。
ビックリしている所に、大学生のグループ4人が談笑しながら食堂に入って来たのです。
どうなるのか、固唾を飲んで見ていたのです、中学生の小生は。
ところが、4人の大学生はハエなど無視したように、みそ汁から箸でハエをつまみ出して、美味しそうに啜(すす)り、楽しそうに談笑しているでは有りませんか!!
何だか、私は拍子抜けしたと同時に、何となくウキウキして食堂を後にしたのでした。
大学生たちの振舞いに、何か感じ入るものがあったのでしょう。
そして、夏の雲ひとつない、風のさわやかな朝、燕温泉麓から登り始めました。
最初は元気一杯、口笛を吹きながら寮のおばさんに作って貰ったおにぎりを入れたリュックを背負い、水筒を斜めに掛けて、登山道を軽やかに進んだのです。
妙高山を登山した人は納得出来ると思うのですが、ここの山道は急坂が続くのです。
こんな急な坂の山は、今まで登った事が無かったし、当時の私はキチンとした登山の仕方が分からなかったので、無茶苦茶な登り方をしてしまい、小生は直ぐバテてしまったのです…。
フーフー言いながら、登っても、登っても、頂上にはたどり着きません。
本当に妙に高い山なので、よくぞ『妙高山』と名付けたものだと、感心するやら、癪にさわるやらで、カッカしながら登って行ったのです。
結局、情けない事に途中で白旗を上げてしまい、登山を中止し、下山すると云うお粗末な結果を余儀なくされてしまったのです。
親父には、『お前は山登りの仕方が全然、分かっていない』と呆れられてしまったのです。
それ以来、二千五百メートルを超すような険しい山には登っていません。
妙高山の登山で恐れをなしてしまったのです。
本格的な登山は甘くないと云う事が、その時、充分に理解出来たのでした。