院長の独り言 158 ; キティ台風の襲来

先の10月中旬、台風14号が奄美大島に接近して、その余波による豪雨によって奄美地方は大きな被害を受けました。

災害に遭った奄美の人には大変、気の毒でしたが、一方、今年は東京には大きな台風が来なかったので、豪雨や大風による被害は受けずに済みました。

台風と云うと私が小学生の時に、キティ台風と云う大型台風が首都圏を襲い、猛威を振るった事を思い出します。

昭和24年(1949年)の事です。

敗戦後しばらくの間は、台風はアメリカ女性の名前がつけられていました。

戦争に負けると云う事は本当に惨めなものです。

“カスリーン”だとか“ジェーン”と言った具合に、台風に名前が付けられていたのです。

1953年にサンフランシスコ講和条約の発効以降、台風の名前が日本名に戻りました。

大型で並外れて大きな被害をもたらした台風には特別に“洞爺丸台風”とか“狩野川台風”、“伊勢湾台風”などのように名付けられ、あとは1号2号3号と番号で台風を呼んでいる事は皆さんご存知の通りです。

話をキティ台風に遭遇した時に戻します。

勿論、テレビなど無い時代です。

緊急の情報は全てラジオからです。

気象衛星などは存在する訳が有りません。

当然、難しい天気予報など殆ど当たらないのが当たり前。

このキティ台風の前日の予報は確か、『千葉の房総半島の遥か沖を通過する』とラジオで言っていたので、私の両親は『どうやら大した事には成りそうもない』と、タカをくくって安心していました。

ところが夜中になると、窓に吹き付ける風の音が凄くなり、雨もバケツをひっくり返すような感じで降り出してきたのです。

古い我が家は大風が吹くたびに地震に遭った時のようにミシミシ揺れるので、家が倒れるのではないかと大げさでなく、一家中不安で顔面蒼白になり眠れぬ夜を過ごしたのでした。

敗戦後、停電には慣れていましたが、今まで経験した事も無い物凄い風雨には本当にビックリしたものです…。

翌朝、ようやくキティ台風が過ぎ去り、家の周りが明るくなってきたので、外へ出て見ると、木の塀は奇麗サッパリ消えていて、前の道路は川に大変身。

こんなビックリした事は戦争の空襲以来でした。

水量(みずかさ)は大人の腰辺りまであり、水の中をよく見ると小魚が泳いでいるのには二度ビックリです。

台風一過とはよく言ったもので、昼前には太陽が雲間から顔を出すほどの青空になり、滅茶苦茶になった家の周りの整理を一家総出で頑張って行ったのです。

腰まであった水も直ぐに無くなり、所々の水溜まりに小魚が浮いていました。

それ以来、自分は台風にはいやに敏感に反応する様になってしまい、興味も湧いてきました。

そもそも何故『台風』と言うのか今回、不思議に思って調べてみたところ、色々な説が有るので驚きました。

一番有力な説は、ギリシャ神話の巨大な怪物『テュポン(Typhon)』から『Typhoon』になったと言う説や、中国で暴風の事を『大風(たいふん)』と言っていた事からであると言う説。

また、アラビア語の嵐『Tufan』からきたと言う説など、其の他にもまだまだ色々有るそうです。

何はともあれ、キティ台風来襲以来60年以上経った現在、東京湾は堤防も排水も安全に整備されているので、あの時のような水害には無縁の時代に成りました。

良い世の中に成った事も確かですが、あの時の大騒ぎも懐かしく思い出すのです。

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