院長の独り言 50 ; 先生はやはり聖職です!
教育に関する話題の中で、いじめによる生徒の自殺などの悲惨な事件が、最近、よく報道されます。
何とか学校や家庭で阻止出来なかったのでしょうか。
小生が小学生の頃は、このような事件はほとんど無かったと記憶しています。
学校医を仰せつかっていた時、何となく学校が荒廃しているように感じていましたし、礼儀作法がいまいちの生徒をよく見かけました。
現在の先生は生徒に遠慮しているのでしょうか。
何十年も前の話になりますが、自分が小学生の頃、同級生の男子生徒と他愛無い事で、取っ組み合いの喧嘩をして、担任の男の先生に2人とも理由も聞かれずに頬を強くひっぱたかれた事があります。
前年までの担任の先生は優しい女性の先生でしたので、正直ビックリしました。
家に帰って、早速、母親に『告げ口』したところ、『先生が叩くくらいなのだから、お前が悪い!』と、にべもない返事が返ってきました。
今時の母親でしたら、一体、どう対応するでしょうか。
それくらい60年前の先生は父兄に信用されていました。
『先生だから間違った事は絶対しないものだ』と、私の母親も心の底から思っていたようでした。
今から思えば担任のF先生は理不尽なところもあったけれど、絶対、エコひいきをしない正義感溢れる、熱血漢の先生でした。
私が子供の頃は、学校の先生は聖職と云われて、皆から尊敬されていました。
その事を先生も十分自覚していたと思います。
小生、学校とは今は縁が無く、現在の先生と生徒や父兄との関係がどうなっているのか定かでは有りません。
しかし、今も昔も教師は特別な任務を任されている事に関しては同じです。
将来、どのような大人になるのかは成長期の子供に対しての先生のさじ加減、対応次第で決まる場合が多いからです。
それが団体生活の中での義務教育の一番大切な、いわゆる『教育』だと思います。
子供は社会に迷惑をかける事無く、役に立つ人間に育てるのが一番ですから、これはどう頑張っても親だけでは出来ません。
未完成な子供を預かって育てるので大変なのは大部分の保護者は百も承知です。
一部、『モンスターペアレント』的父兄も存在する事も確かですが…。
先生次第で子供は良くも悪しくもなるものです。
悲しい哉、親の出る幕はどんどん小さいものになる事も事実です。
先生が聖職者であり教育者と呼ばれる所以です。
大変な仕事ですが、子供に愛情をそそいで、是非頑張って育てていただきたい。
将来の日本を背負って行く子供達を育てると云う、重大な職務を負わされている大変さを理解して、親は当然として、文部省も日教組も負担の大きい先生を経済的、精神的など色々な面で応援して支えるべきだと思います。
実を云うと私も大学で学生の指導をしていました。いわゆる文部教官を結構長くやっていました。
手の掛かる小生意気な学生には、正直、『コンチクショウ!』と何度思ったことでしょうか。
でも、手こずらせた学生にひょっこり街で会い、当時の事を感謝されると、学校の先生を経験した事も満更ではないな…と、今は思っています。