院長の独り言 426 : 現在も輝く手塚マンガ

年少の頃、童話や伝記物、中高生の頃になってからは名作と言われる漱石、藤村、鴎外、龍之介などの作品を愛読していました。

大学生の頃は当時の流行作家ものを読む程度で、もっぱら麻雀、囲碁など趣味にウツツを抜かしていたのです。

ただ、一貫して、マンガは楽しんでいました。

マンガ、マンガと馬鹿にしますが、現在は、国内は勿論ですが、世界中で日本のマンガは大勢の人に見られていて、大人気です。

ところで、手塚治虫の作品は、『マンガ』と云うより、私には、大袈裟ですが、『哲学書』のように常々感じていたのです。

難しい哲学書を見開いてもチンプンカンプンですが、手塚治虫のマンガを読むと、まるで哲学的な課題に挑戦するような気にさせてくれます。

手塚治虫の長編マンガ、『火の鳥』しかり、皆さん、『鉄腕アトム』のラストシーンを知っていますか?

大団円、ハッピーエンドで終わっているわけではありません。

悲劇的な最後です…。

テレビ番組で子供向けに放送していましたし、悪者をギャフンと云わせていた英雄の鉄腕アトムですから、アトムは不死身と思いきや、悲しい結末にシュンとしている子供達も多かったと思います。

手塚治虫登場前の、私がごく幼い頃は、マンガと言えば、『サザエさん』『のらくろ』などナンセンス・マンガが主流でした。

ひとマス、ひとマスの動きもありません。

その内容はと云うと、馬鹿馬鹿しくて、単純に笑えるものでした。

その、動きの無い従来のマンガと比較して、手塚治虫のマンガは、躍動感があり、物語性が抜群でした。

『手塚マンガ』は、子供が喜ぶマンガと言うより、大人向けの小説のようです。

漫画の概念を変えてしまいました。

勿論、『ナンセンス・マンガ』も面白いけれど、『手塚マンガ』のような思想性の高いのも良いですね。

今、7~80年前の『手塚マンガ』のような世界になりつつある地球を、あの世からニタニタ笑いながら『どうだ!』と、鼻高々に彼は言っているような気がします。