院長の独り言 390 ; かつて街角に映画館があった…
小学生の頃まで、テレビが無かったので、画像で楽しむ娯楽と言えば映画観賞だけでした。
当時、芝居小屋を少し大きくした大衆的な映画館が、町のアチコチに在ったのです。
2~3週に1回、出し物が頻繁に変わります。
ほとんどの出し物は、チャンバラ時代劇の勧善懲悪か、サスペンスか探偵物、あるいは単純な恋愛ものでした。
大人が見ても、子供が見ても、害にならない様な映画が多かったのです。
要するに、紙芝居の延長みたいなものでした。
勿論、新宿や銀座などの都心には、高級な映画館がありました。
そこではヨーロッパやアメリカの最新の外国映画や、邦画でも話題の作品が上映されていました。
われわれ庶民は、近所の映画館でチャンバラ映画を楽しんでいました。
映画館の通路まで観客でゴッタガイして、チャンバラがはじまると、老いも若きも、大喝采!
主人公が貧しさに負けそうになる場面では、場内シーンとして、涙を流しました。
料金が安かったので、おばさんや子供達が一杯、見に来ていて、いつも満員でした。
大衆映画館は大いにペイしていたのだと、当時を振り返ってみて思うのです。
ところが気がついたら、大衆映画館が一つ消え、また一つ消え…といった具合で、いつの間にか、わが街から映画館が無くなってしまったのです。
丁度、銭湯が消えていったように、街角から大衆映画館が姿を消していきました。
映画館が消えていくのに反比例して、どこのウチにもテレビが置かれるようになったのです。
テレビが売り出された当時、本当に半端じゃないほどの高額でした。
14インチの白黒テレビが、当時5 0万円以上もしたのです。
ところが短期間で、テレビの値段がドンドン下がっていき、その結果、爆発的にテレビが日本中で売れだしたのです。
どのような仕組みで、映像が各家庭に飛び込んでくるのか、われわれ子供達にとっては手品を見ているようで、ただただビックリしながらテレビにカブリついていました。
駅前広場に設置してあったテレビでは、力道山とシャープ兄弟の対戦したプロレス番組に、会社帰りのサラリーマンや学校帰りの学生で黒山の人だかりでしたが、その光景も綺麗に無くなりました…。
時代の変化に飲まれた映画は、テレビに完敗してしまいました。
そして悲しい哉、街の大衆映画館が復活することは、二度と無いでしょう。
紙芝居を見るように、センベイをぽりぽり食べながら、白黒のチャンバラ映画を見ていた小学生のころが懐かしく思い出されるのでした。