院長の独り言 365 ; 両親への祈り

先日2月24日(日)に、親父の23回忌、お袋の17回忌の法要を、四人兄弟で営みました。
特に親父にとっては、命日でもあるのです。
お墓は千葉県松戸市の八柱霊園にあります。
そこは広大な霊園で、オーバーでなく、隅から隅まで、一体、どのくらいの墓石があるのか全く見当もつきません。
それでも両親の墓は、入り口から約500メートルにあり、入り口から比較的に近いのですが、歩くとかなり遠くに感じます。
勿論、霊園の入り口から端までは、とても歩いて行ける距離ではありません。
その日は雲ひとつ無い、良い天気でしたが、北風が結構、強くて、たいへん寒い日でした。
顔なじみの浄土真宗の住職に、両親のお墓の前で、経を読んで頂きました。
自分は亡くなった両親を偲んで心の中で、お念仏『南無阿弥陀仏』をとなえたのでした。
『偲ぶ(しのぶ)』は、文字通り、『人を思う』と云うこと(にんべんに思う)です。
『念』は今の自分自身の心(心の上に今)。
偲んで、お念仏と唱えることは、生前、両親に可愛がってもらった諸々を、いま心の中で感謝し、念仏『南無阿弥陀仏』を唱えると言うことです。
残念ながら、亡くなった両親に自分の今の気持ちを伝えることは出来ません。
自分としては、感謝の気持ちを持って、念仏を唱えることしか出来ないのです。
この気持ちと行為が、親鸞のとなえる『他力』思想です。
決して、『他力本願』とは違います。
拝んだからと言って、世の中が上手く行くとは限りません。
上手く行く、行かないのは、全くの時の運と云うことです。
誰かに頼んで、近道をして、成功させて貰おうというのが他力本願です。
『他力思想』は、ただお念仏を唱えるだけです。
親鸞は念仏を唱えるだけで大きな力に包まれているのだと唱え、それが他力であると言っているのです。
あまり難しくて、簡単に理解できないのですが、要するに、淡々と普段の生活を送れと云う事です。
両親を思って、大きな力に感謝し、念ずるのみです。
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