院長の独り言 301 ; よくぞ、ロシアの植民地にならなかったものです

NHKで、司馬遼太郎氏原作の『坂の上の雲』のドラマ化が、3年掛かりで、放送されています。
先週は、見ているのも辛い『旅順総攻撃』でした。
わずか100余年前、大日本帝国海軍の連合艦隊は、ロシアのバルチィック艦隊を壊滅しました。
海戦史に名を残す日本海海戦の事です。
日本海海戦での、あまりにも鮮烈な勝利が際立ち過ぎて、日本海海戦の1年前に行なわれた黄海海戦での勝利を知る人は少ないです。
黄海海戦は、大日本帝国海軍と陸軍の連携によって、勝利を得た戦闘であったのです。
日露戦争開戦初期、ロシア太平洋艦隊は、中国からの租借地であった軍港 旅順港に停泊して、手が出せない状態でした。
日本海や黄海を、ロシア太平洋艦隊の好きなままに航海されると、満州で頑張って戦っている帝国陸軍へ送る物資(兵站)が行き届かなくなり、兵隊さんが干上がってしまいます。
しかも、バルティック艦隊が日本近海に到着してしまえば、連合艦隊は挟み撃ちに遭い、日本はロシア帝国の植民地になってしまうのです。
連合艦隊は、本隊であるバルティック艦隊が到着する前に、ロシア太平洋艦隊を壊滅しなければ、ならなかったのです。
しかし、ロシア太平洋艦隊もそう簡単には、旅順港から出てきませんでした。
旅順港から出た途端、戦力で優る連合艦隊が待ち受けているのですから…。
ロシア太平洋艦隊は、バルティック艦隊が到着するのを、旅順港で大人しく待っていれば良かった訳です。
ただし、旅順港で停泊するロシア太平洋艦隊には、弱点がありました。
旅順港を見下ろす丘203高地からの砲撃です。
港を見下ろす高台から砲撃を受ければ、ロシア太平洋艦隊は簡単に壊滅してしまいます。
仮に砲撃を避けて、旅順港を出れば、連合艦隊が待ち受けている訳です。
当然、帝国陸軍は203高地を抑えに掛かる訳ですが、そこにはロシアが誇る近代要塞である、堅牢な旅順要塞が立ち塞がっていました。
帝国陸軍が日本の命運を賭けて、旅順要塞を攻略したのは、悲しい運命であったのです。
死屍累々。
総攻撃は3回に渡って決行され、乃木希典大将率いる帝国陸軍 第3軍は2万人以上の死傷者を出してしまうのです…。
あまりにも多い犠牲のために、乃木の親友であった児玉源太郎陸軍総参謀長に第3軍の指揮権を奪われたとか(司馬遼太郎氏説)、乃木大将愚将説が囁かれました。
結果、児玉源太郎参謀長指揮下によって、旅順要塞は陥落したのです。
203高地から砲撃を受け、ロシア太平洋艦隊は旅順港から追い出されました。
そして、黄海海戦で連合艦隊に壊滅させられたのです。
前説が長かったですが、小生が書きたかったのは、ここからです。
前述のように、児玉源太郎総参謀長は旅順要塞攻略の立役者として有名ですが、小生はその児玉源太郎氏の孫と中学校の同級生だったのです。
一度遊びに彼の家に行きましたが、大変な大邸宅なのでビックリした思い出があります。
しかし児玉君は、自分があの有名な児玉大将の孫である事を皆に言わなかったので、在学中は全然知りませんでした。
大学に入った後に、同窓会で知ったのです。
彼の後ろに、児玉大将が立っているような、厳かな気持ちになったものです。
いまの若い人達は、児玉大将を知っているでしょうか?
東郷元帥率いる連合艦隊が、バルティック艦隊を壊滅させた際の名参謀が、秋山真之です。
丁字作戦と言って、敵艦隊の前を全ての艦隊でふさいで、一番先頭の敵主艦船に全戦力を集中し、撃沈する戦略です。
当時の海戦においては、戦略などなく、ただ戦艦同士の砲撃戦のみと云われていた時代に、海戦においての戦略を示したのです。
いま考えても、陸海軍協力し合い、よくぞロシア帝国に苦戦しながらも勝ったものだと感心します。
後方からの支援を出来ない様に陸軍がお膳立てをしてから、帝国海軍がロシア太平洋艦隊とバルティック艦隊を叩いて、ロシアに勝利したのです。
もし、あの時、ロシアに我が国が負けていたら、東アジアは全てロシアに飲み込まれていた事でしょう。
中国も韓国も、そして日本も…。
今週は『坂の上の雲』のドラマも、いよいよ『203高地』陥落です。
ロシアに植民地化されるのを想像して、このドラマを見ると、明治の先輩達の気持が、心の芯に迫ってきます。

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