院長の独り言 228 ; 京都旅行 (その二)
新幹線に乗ると、何時も思い出すのが、フランスの超特急『TGV』です。
10年ほど前に、一度、乗った事があります。
日本の新幹線と比べてみたかったのです。
新幹線の乗り心地の良さに比較すると、フランスの超特急は揺れも激しく、乗り心地は全く劣っていました。
確かに、スピードは新幹線と同じですが、快適とはお世辞にも言えない経験でした。
『日本の新幹線を導入すれば良いのに…』と、内心、思ったものです。
技術面では優れていても、外国に中々、メイドインジャパンを売り込めないのは、ただ単に政治力の差でしょう。
新横浜を過ぎた頃、東京駅で買ったお弁当を食べ終えて、ひと息。
外は曇っていて本当に残念なのですが、大好きな富士の山に、お目にかかる事は出来ませんでした。
名古屋をいつの間にかに過ぎると、ゆっくりする暇もないくらいに、アッと言う間に京都駅に着いてしまったのです。
時計を見ると、午後0時半、いよいよ、久し振りの京都です。
もう少し新幹線には乗っていたいくらい、快適な乗り心地でした。
近代的な京都駅を後にして、京都御所の直ぐ近くにあるホテルに荷物を置き、計画通りに、まず金閣寺(鹿苑寺)に向かったのです。
小雨が降っていたので、タクシーを利用しました。
実は小生、京都に高校の同級生がいたので、彼の下宿を足掛かりにして、大学生時代に、殆どの名所旧跡を見て回っていたのです。
金閣寺は勿論、銀閣寺、清水寺、二条城、三十三間堂、嵐山など見所は殆ど見学しています。
おまけに大学の同窓会の時には、舞妓さん遊びの経験もあるのです。
以前、金閣寺は二回、見学していたので、今回が確か三度目、いや四度目かも知れません…。
以前に見た時は、金箔の部分が渋く疲れていて、如何にも古色蒼然、永い時間が経過している風格を感じたのですが、今日、見る金閣寺は、つい最近、リホームしたとの事。
あまりに金ピカになっていて、小生とすれば、軽薄な感じがしてしまい、ちょっとした違和感を持ったのでした。
多分、あと、十年位経つと、歴史を感じさせる趣が出てくる事でしょう。
震災の原発事故の所為(せい)か、外国人の姿を殆ど見る事が出来ず、普段は中国語、英語、フランス語、そしてドイツ語などの外国語が、乱れ飛んで聞こえるところですが、全く聞こえませんでした。
売店のひとの話によると、普段、観光客の半分は外国人だそうです。
当日はいつもの三分の一程度の人で、大変、見学し易かったのです。
新緑に映えた金閣寺を前から、斜めから、後ろからと、充分に堪能する事が出来ました。
少し喉も渇いたので、喫茶所に入って、お茶にする事にしたのです。
いつもは混んでいて、抹茶を飲みながら、お庭を堪能するには、かなり待たなければならないそうです。
今回は、お菓子付きの抹茶を、並ばずに、直ぐに愉しむ事が出来ました。
たまには、苔生した端正な庭園で、お茶を楽しむのも、優雅な気持ちにさせられるものです。
応仁の乱(応仁・文明の乱)では、山名宗全率いる西軍の本陣となり、寺の大半が焼失したとの事。
昭和25年にも、放火により金閣は焼かれました。
三島由紀夫がその事件に刺激され、名作『金閣寺』を著しました。
今となっては、三島調の流麗で耽美的な日本語は流行らないのでしょうが、とても美しい文章です。
新しい金箔に飾り立てられた金閣を眺めると、何となく、背景に焔が見えてくるようです…。
(次回に続く)