院長の独り言 225 ; 寿司の歴史
東日本大震災で、宮古や大船渡などの漁港が壊滅してしまいました。
東北地方の漁港が壊滅してしまっている現在、魚の水揚げが極端に減少してしまっているとの事。
魚好きの私としては、大心配です。
焼き魚、煮魚、そして天麩羅も大好きです。
思っただけでも涎(よだれ)が垂れそうです。
特に好物なのがお寿司です。
お寿司のネタで、マグロ、ヒラメ、赤貝、数の子、ホッキ貝など、何でも大好きで、嫌いなものは全くありません。
日本人であれば、お寿司の苦手な人は、まずいないでしょう。
最近は、外人さんもお寿司に嵌(はま)っているようです。
世界中のどこに行っても寿司ブームで、フランスやスペインでも、お寿司屋さんの看板を目にしました。
正直、あまり外国にはお寿司を宣伝したくないと思います。
お寿司を一度、口にすると、絶対にお寿司好きになってしまい、われわれ日本人の口に入りにくくなるのではないかと、いらぬ心配をしてしまいます。
皆さんご存知ですか?
われわれが大好きな握り寿司の歴史は、意外と浅いのです。
せいぜい200年程度の歴史なのです。
江戸時代の後期に、屋台で江戸前寿司として現れたのです。
東京湾で獲れた魚介類を、握った酢飯に乗せて振る舞ったのが、江戸前寿司の始まりとされています。
江戸の街にだけで食べられていたのです。
冷蔵庫のない時代ですから、生魚の流通が行き届く範囲のみで食されていたのです。
そして寿司の原型は、数千年以上前に東南アジアで、米の中に生魚を入れ発酵させて、保存食として、魚だけを取り出して食べていたものだそうです。
その魚の保存食の製法が、中国経由で奈良時代に我が国に伝わったとされています。
伝わった当時は、やはり魚を発酵させて、魚だけを食べていたようです。
日本人は米好きという事もあって、今でいう関西風の寿司(なれ寿司)が、その後、登場したのです。
それが江戸の花屋なにがしと云う人物が、酢飯を握って、東京湾で獲れた江戸前の魚を上に乗せ、屋台で立ち食いを始めたのが、現在の握り寿司の始まりと云う事です。
江戸前寿司は関東大震災までは、東京近辺だけがテリトリーだったのです。
それが地震で壊滅して、東京で寿司の商売が出来なくなってしまい、日本各地に寿司職人が止むを得ずに拡散してしまい、それが切っ掛けで江戸前寿司が全国に伝わって行ったのです。
これは嘘ではありません。
本当の話です。
お寿司が全国的になったのは第二次大戦の後、戦後の事で、極く最近の事です。
更に世界中の大都市では、寿司がブームになって、海外旅行に行くと、街のアチコチに回転寿司屋がある始末です。
味はまだ劣るのですが…。
東北の漁港も早く震災前のように復興して、新鮮な寿司ネタが沢山、獲れるように心から願っています。
ちなみに『寿司』は当て字で、元々は『鮨』あるいは『鮓』です。