院長の独り言 145 ; 東欧への旅 第4日目 -ウィーン観光-
9月18日、土曜日。
ツアー、4日目に入りました。
いつもの様に9時にホテルを出発し、バスのドライバーはオーストリーの大人しいおじさんで、ガイドは当地に長く住んでいる日本人の女性の案内です。
まずハプスブルク家の夏の離宮で、世界遺産のシェーンブルン宮殿を見学したのです。
朝早いのに各国からのツアー客で一杯。
パリのベルサイユ宮殿と部屋の雰囲気といい、家具と飾ってある絵画も、そして庭園も殆ど同じ、まるで瓜二つの宮殿の様相を呈していました。
要は、ベルサイユ宮殿を少し小ぶりにした感じです。
この宮殿は16人の子供を産んで、ヨーロッパのあちこちの王国に娘を嫁がせ、親密な関係を築いたマリア.テレジアが居城していた事で有名ですが、マリー・アントワネットも幼い頃、一緒に住んでいたのだそうです。
モーツァルトがこの宮殿で、しばしば演奏会を催していたので、マリー・アントワネットとモーツァルトは顔見知りだったのです。
二人とも運命であったのか、奇しくも早死にしています。
オペラ座、ゲーテとシラーの像、モーツァルト像、マリア・テレジア像や美術史博物館、自然史博物館、そして王宮、国会議事堂、ウィーン大学などをバスの車窓から眺めながら、その全てが『世界遺産』である街並みを、それこそ目を凝らして見学しました。
ウィーンの中心に位置するシュテファン寺院の近くでバスを降り、ウィーンの銀座ともいえるケルントナー通りを散策。
さすがに芸術の都の中心は多くの人で賑わっていて、歩くのも難儀しました。
男性も女性も背が高く、骨格もシッカリしていて、私も日本人としては、比較的に背が高い方なのですが、思わず『大きいなぁ~』と威圧感を感じたものです。
現在、スポーツの世界で活躍している野球のイチロー選手や水泳の北島選手など、このように身体の大きい人を相手にして勝っているのですから、本当に大したものですね~。
身体の小さい、われわれ日本人にとっては、あらためて頭で勝負しなければならないと心の底から確信しました。
科学の分野においては、二番手ではダメで、一番を目指すべきです!
国も科学技術の開発に精一杯の予算を付けるべきです。
何しろ、身体で勝負するのは縦横のガタイが違いすぎて大変です。
その後は、オペラ座の前で解散して、家族で其々の思い思いの場所に行きました。
我々は、前もって行きたいと調べていた歴史博物館に行ったのです。
この博物館にはハプスブルク家の所有している絵画やエジプト古代の出土品が沢山展示されていて、ユックリと見学すると丸一日は掛かってしまいそうです。
あまり沢山の展示物に、この名門の当時の隆盛が伺い知れたのです。
博物館を出た後、かなり疲れていたのですが、何事も経験と云う事で、ウィーンの路面電車に乗ってみました。
まず切符の買い方から分からないのですが、何とか買う事が出来、次には電車に乗り込んだのは良いのですが、切符を何処に出したら良いのか思案に暮れていると、老夫婦(英語は通じません)が、身振り手振りで切符の使い方を教えて呉れました。
降りる駅も親切に合図をして呉れました。
無事、目的の駅に降りる事が出来、我々がホッとしていると、周りの乗客方も皆どうなるのか、状況をハラハラして見守っていたようで、我々と一緒になってホットした顔。
電車を無事、降りた我々にみんなでニコニコと手を振って呉れました。
ウィーンの人は、みんな親切ですね…。
乗降の方法が分かったので、今度、路面電車に乗る時はモー大丈夫です。
降りた駅の近くに、ウィーンで有名なレストランが有る事を、出発前にガイド本で調べていたので、是非、そこで昼食を摂りたかったのです。
少し冒険して路面電車に乗ったのは、そのレストランに行きたかった為です。
到着すると、地元の人達でレストランは一杯。
また得意の身振り手振りと片言の英語で、サラダ、鶏肉、サンドイッチなどの3〜4種類の料理を注文してみました。
一寸濃い目でしたが、和食の味付けに似ていて、本当に美味しかったのです。
満腹になったので、また路面電車に乗り(今度はうまく乗降出来ました)、ホテルの近くで降り、腹ごなしと云う事で街を散策してみました。
ハンガリーもスロヴァキアもオーストリーも、東欧の街の有り様はそっくりで、日本と違い電線が無く、空がスッキリして、本当に中世の街にタイムスリップしたようですが、個々の建物を近くで見ると、結構、汚れていて、街全体の整備はイマイチと云った感じでした。
ヒルトンホテルに戻り、夕方まで自室で休み、疲れが何とか取れた後にディナーに出掛けました。
メインはシャケのムニエルでした。
(次回に続く)