院長の独り言 143 ; 東欧への旅 第2日目 ―ブタペスト観光―
軽い時差呆けの翌朝は、午前5時前に眼が覚めてしまいました。
朝6時半から朝食バイキングで卵焼き、ハム、ヨーグルト、パンなどを食べた後、早速、ブタペスト観光に出掛けます。
午前9時にホテルをバスで出発しました。
バスが走り出してから直ぐに、車窓から中世のお城を思わせるハンガリーの国会議事堂が目に飛び込んできたのです。
とても国会議事堂とは思えない外観にビックリしている暇も無くバスが停車しました。
バスを降りて比較的に近代的なビル群が続く路を、聖イシュトヴァーン大聖堂まで歩き、これから始まるブタペスト観光への期待に胸を膨らませたのです。
しばらく歩いて街角を曲がった途端、広場の前に立つ聖イシュトヴァーン大聖堂が目に飛び込んできました。
目の前に現れた大聖堂は想像していたより少しコンパクトな感じを受けました。日本で買ったガイド書の写真と案内文から想像していた聖堂は、もっと大きい建物と頭の中で想像していたのです。
この教会は約50年の歳月を掛けて1905年に完成した、ネオルネッサンス様式を代表する建築物だそうです。
イタリアのミラノで初めて見た大聖堂は、その大きさと華やかさに圧倒され、『西洋の聖堂、かくたるべし!』と感嘆したものです。
そのミラノのドーモ(大聖堂)とは少し違った感じを受けたのも事実です。
聖イシュトヴァーン大聖堂は荘厳な外観ですが、ミラノの大聖堂とは少々違うのです。
この違和感は何処から来るのだろうと一瞬思ったのですが、ブタペストの大聖堂はスラブやアラブの文化の影響を受けているとの事でした。
イタリーのそれを上回るほどに彩色豊かで細密なステンドグラスが聖堂の内部を飾っていましたが、何となく地味な感じです。
多分、西欧と東欧の国民性の違いからくるのでしょうか。
しかし、どちらも素晴らしい大聖堂である事は疑う余地も有りませんが…。
もっとユックリと鑑賞していたかったのですが、ツアー添乗員に促されて、王宮の丘を見学する為に急いで聖堂を出発しました。
当地では大変有名な『くさり橋』をバスで渡って、王宮の丘に向いました。
昨夜のドナウ川クルーズでライトアップされた全長約400mの『くさり橋』を船から見た時は、随分、大きくて長い橋だと思ったのですが、バスで走るとアッという間に過ぎてしまいました。
王宮は現在、博物館と図書館として利用されています。
そこから少し歩いた所にマーチャーシュ教会が有り、此の教会の売りは、何といってもジョルナイ焼きの瓦で、その鮮やかな橙色の美しい屋根ですが、内部も色彩豊かで素敵な教会です。
やはり、この教会もイスラムの影響を強く受けているようでした。
教会から少し歩いて行くと『漁夫の砦』と云う見晴らし台が有ります。
そこから悠々と流れるドナウ川と、たった今、見てきた対岸のペストの街並みが遠くまで綺麗に望めて、まるで絵ハガキを見ているようでした。
清々しい風に当った後はバスに乗り込み、次の目的地の中央市場を訪れ、ブタペストの市民の台所を見学しました。
日本と違って値引き交渉をするお客も多く、食品も雑々と置かれていて、国が変われば品変わると肌で感じた次第です。
昼食にはハンガリー料理のパプリカ・チキンやパラチンタを食べて一息ついたのですが、食事中に雨が降り始めたのです。
ここで自由行動となりました。
われわれは驟雨に濡れながら、頑張って英雄広場に行き、その近くの国立美術館で見切れない程の名画を鑑賞したのです。
名画をたっぷり見過ぎた感想は、いくら名画でも余りにも沢山に一気に見ると有難味が薄れるものです。
事実、見飽きたのか、地元の人の姿は無く、閑散としていました。
当地の人が見飽きているのなら、日本に少し名画を寄付して欲しいものですね。
頑張ってひと通り鑑賞した後は、ハンガリーの諸々を体験したかったので、あえてタクシーには乗らずに小さな冒険気分で、市営地下鉄に乗ってホテル近くの広場の駅まで行ってみました。
市民が楽しそうに歓談している広場のオープンカフェでお茶を飲みながら、若い女性が路上で演奏しているヴァイオリンを聞き、まるでハンガリー人になった気分で談笑したのです。
広場の出店では絵ハガキなどを買い、ホテルに帰り、すっかり緊張から解放されてソファーにヘタリ込んでしまいました…。
1時間程度、ホテルで仮眠を取った後、地元料理のレストランでハンガリー民族舞踊を見ながらの夕食の予定だったのですが、夕食までの仮眠のつもりが、夫婦でつい寝過して集合時間に遅刻をしてしまい、一緒に参加しているツアー仲間から笑われてしまいました。
夕食はグヤーシュと云う名物料理です。
先ずレストランの入り口でウェルカム・パーリンカという、キツイ蒸留酒で歓迎され、メイン料理は近くのバラトン湖で採れた白身魚の揚げ物でした。
何とか2日目を無事に終える事が出来たので、ホッとしてベッドに入り熟睡したのは云う迄も有りません。
(次回に続く)