院長の独り言 141 ; 両親との九州旅行(パート3) 熊本編

長崎の名所旧跡を足早に見学した後は、諫早を通り、当時、まだ噴火していなかった普賢岳を横目に雲仙国立公園の島原半島を一周して長崎に戻り、国鉄(JRでは有りません)で小郡を経由して熊本に向かったのです。

実は、兄貴のお嫁さんの実家が熊本県小国町であると云う事もあって、兄貴夫婦は九州、特に九州中央部に精通していたのです。

その二人に道案内をして貰うので、今回の旅行は最初から、大船に乗った気分な訳ですから、両親も我々も安心して旅を楽しむ事が出来ました。

地元の人しか分からないような観光の穴場も案内して貰ったのは言うまでも有りません。

熊本では、まず熊本城に向かいましたが、勿論、ここは有名すぎて穴場では有りません。

春休みと云う事もあって、子供連れを中心に、大勢の観光客で城内は大変な混雑でした。

熊本城は、戦国武将の加藤清正築城として有名です。

何であんなに大きなお城を建てたのかは謎とされていますが、有力な説として語られているのは次の如くです。

清正は言うまでも無く、豊臣秀吉の家臣です。

秀吉と親戚関係にあると云う説もあるほど関係が深く、万が一の時は、秀頼を助けて熊本城に立て篭って、徳川家康と一戦を交える覚悟が出来ていて、その為にあのような堅牢で大きなお城を造ったとされています。

生涯、秀吉に忠誠を誓っていた事は有名な話です。

しかし、関ヶ原の天下分け目の戦いでは、徳川方の東軍に付いています。

これは、西軍の石田三成、小西行長と仲が悪かった為で、結局、小西氏を滅ぼした事により、家康に認められて小西氏の領地を貰い受け、50万石以上の大大名になったのです。

熊本は元々、『隈本』と言っていたのですが、清正が勇ましい名前『熊本』に地名を代えてしまったのだそうです。

熊本は加藤清正が名づけ親と云う事になります。

熊本の郷土料理と云えば何と言っても『馬刺』です。

子供達には馬刺が気持ち悪かったようで、大人だけで舌鼓といき、また地酒を愉しんだのです。

チビさん達は東京と大して変わらないハンバーク、中でも『贅沢をした』といえば、大きなエビの天ぷら付きと云ったところでした。

男の子2人は親父に熊本名物の『コマ』と、何故か『コブラ』の剥製を買って貰って大機嫌、一方、娘は矢張り名物の羽子板をねだっていました。

(続く)