院長の独り言 153 ; クラス会で名古屋を訪問する

一年振りの大学同級生のクラス会を10月9日(土)に、名古屋の老舗割烹料理店で賑やかに行いました。

北は北海道、西は沖縄、四国など、全国に散らばっている旧友21名が集合。

例によって、クラス会の設営は名幹事のK君です。

学生の頃は皆、髪の毛がフサフサしていて、当時は若かった我々も昔の面影はいずこへと消え、髪は薄く白く変身してしまいましたが、気持ちだけは20歳の頃と同じで、意気軒昂といったところです。

学生時代の話が出て来ると、気持ちはタイムスリップして、当時の楽しかったり辛かったりした事で大盛り上がり。

全員、いい歳をして、アルコールを飲み過ぎて羽目を外し、馬鹿話に花を咲かせたのです。

30年程前、名古屋を訪れた時は『大きな村』と云った感じでしたが、現在は素晴らしい近代都市になっていて、駅前も高層ビルが立ち並んでいるし、道路は広く整備されていて驚きました。

ついこの間旅行した東ヨーロッパのブタペストやプラハなどの都市は、観光で1〜2週間、訪れるのは楽しいのですが、住むとなると名古屋の方が断然、快適に過ごせそうです。

翌日は愛知県犬山市の明治村と国宝犬山城へ観光に出かけました。

明治時代に建てられ、壊される予定であった、由緒あるホテルや教会などを『解体消滅させてしまうのは、如何にも勿体ない…』と云う事で、此の地に移築して出来た村が明治村と云う事です。

明治初期の三重県庁舎、銀行や郵便局、帝国ホテルや聖ヨハネ教会堂、呉服座、そして明治の文豪、鴎外と漱石が奇しくも相前後して住んだとされている家屋など、歴史的にも価値のある建物が展示されています。

我々は昭和の生まれです。

そして両親の殆どが明治生まれですから、親が生きていた明治の頃を思いながら神妙に見学出来ました。

全員、感慨に浸りながら、あまりにも丁寧にユックリと見学しているので、バスガイドのお姉さんに先を促され、次の目的地、犬山城に向かいました。

犬山城の近くのレストランで昼食を摂った後、お城の天守閣に登りました。

国宝犬山城は室町時代後半の1537年に築城されたものです。

戦国時代の堅牢な平山城として尾張国を守り、木曽川を利用した交易の場としても大変、重要な要の城だったのです。

全く急な階段で、脚をガタガタと震わせながら天守閣に頑張って登って、そこから下界を眺めると、戦国時代に最も大切な城の一つである事が心から納得出来たのです。

360度のパノラマで、遠くの遠くまで展望出来るのです。

しかも『後ろ堅固城』と云って、木曽川が壁となって城の後ろは完全に自然の要壁で防御されているのです。

日本も東欧も、お城の立地条件は同じようで、どちらも見晴らしがよく、敵から攻めにくい場所に存在しています。

大阪城や江戸城の様な平城は、平和な時代には政治や経済中心で、あまり防御の事を考えなくとも良いのですが、戦国時代の時は山城の方が敵を寄せ付けないので安全です。

犬山城や明治村をのんびりと観光巡りして楽しんだ後、名古屋駅に戻って来た時は夕方の5時を過ぎていました。

新幹線のぞみに乗ると、横浜までひと駅、東京までは三つ目の駅です。

ひと眠りしている間に東京駅に到着。

一年振りに会った旧友との楽しい時は、アッと言う間にジ•エンドとなりました…。