* You are viewing the archive for the ‘副院長の唯我独尊―歯医者の論理―’ Category

わたしの故郷

久しぶりのブログ更新になります、石川高行です。
今日は、非常に寒い一日ですね。
といっても、わたしは籠の中の鳥。
一日中、暖房のきいた部屋の中に籠って、歯科専門誌から依頼を受けた原稿を書いています。
わたしの部屋は13階に在って、原稿書きの気分転換には、コーヒーを入れたり、お風呂に入ったり、お気に入りのジャズを聞いたり、ベランダに出て景色を眺めたりします。
何の因果か、わたしの部屋は、母校である高校の目の前にあるのです。
その母校の校庭は、わたしのベランダの正面です。
後輩たちはこんな寒空の中、元気な声を張り上げて、頑張ってスポーツをやっている。
わたしの住んでいるマンションの敷地には、約20年前の1980年代後半に、保険会社がありました。
その玄関には見事な植え込みがあって、初夏である新緑の季節には、美術の授業で写生をしました。
真冬に新緑の季節のことを書くのは、少しおかしいですが、初夏の日差しが新緑を照らして、桜並木は輝いていました。
友人とキャンバスの絵を揶揄い合いながらも、わたしは結構、真剣に絵を描いていました。
その一つ一つの瞬間が懐かしいです。
あれから20余年、経過して、国立市の大学通りの桜は老いて、中には死んでしまった木もあります。
過ぎた時間は戻らないのは分かっているのですが、ただひたすら懐かしいです。
コートを着込んでも、寒い今日。
そろそろ、ベランダから引き上げる頃合いです。
16歳から自分は何か進歩したのであろうか、ただ肉体だけが加齢して、精神面での進歩はあったのであろうか。
まあ、答えのでない思いは置いておいて、原稿書きに戻らねばならないでしょう。
矢川にいたザリガニ、一橋大学内の雑木林にいたカブトムシやノコギリクワガタやカナブン。
南養寺裏の畑から出土する縄文土器のかけらや石器、城山の土豪跡にいるシマヘビ、多摩川のクチボソやマゴイ…。
わたし以外に知らない、わたしの脳内だけにある、故郷である国立の古い記憶たち。
すべてが思い出に変わって、消えていく…。
結局、なるようにしかならない。
やけに捨て鉢な気分になって、原稿書きに戻るのだろう。
迷ったときは、前に進むしかない。
ただただ進むしかないのだ。
感傷はすぐに冷えるコーヒーのように消えていく…

自著『こうすれば防げるインプラント周囲炎』、売り出し前に売り切れ中です…

当院の山森翔太先生と著した『こうすれば防げるインプラント周囲炎』が、出版元のクインテッセンス出版やAmazonなどの書店で売り切れてしまいました。
しかも、発売日の10月10日以前に、です。
当院にご連絡頂いても、本はありません。
もし購入希望の方がいらしたら、アルファタイト•インプラントを発売しているケンテック社の買い取った在庫が若干ありますので、同社に問い合わせて下さい。
http://www.alpha-kentec.co.jp
宜しくお願い致します。

台風が迫り来るなか、説明会にご参加いただき有り難うございました。

昨日の9/30(日)午後2時から4時まで行ったインプラント説明会。
台風が迫り来るなか10人以上の方のご参加頂きました。
まことに有り難う御座いました。
参加者のみなさまの安全を考えて、開催するかしないかで、スタッフで議論をしましたが、天気予報では『午後6時以降に風雨が強くなる』とのことでしたので、参加者の方々の判断に任せました。
そして、10名以上のご参加でした。
手前勝手な判断をしないで、良かったと思いました。
説明会終了後は、つとめて早くご帰宅いただきました。
帰宅は大丈夫でしたか?
何かと至らない点もあったでしょうが、重ねて有り難う御座いました。
これからもインプラント治療の実際を話していきたいと思いました。

クインテッセンス出版より『こうすれば防げるインプラント周囲炎』を刊行しました!

山森翔太先生と私(石川高行)が執筆した本が、歯科関連専門出版会社の最大手であるクインテッセンス出版株式会社より売り出されました。
本格的な発売は10月に入ってからですが、インプラント学会や歯周病関連学会などの直販ブースでは、すでに売り出されています。
特に、口腔インプラント学会では、数十冊も売れたようで、嬉しいというか、関係者各位さまに迷惑を掛けないで済みそうなので、胸を撫で下ろしています。
本の内容は、完全に歯科の専門家(歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士)向けですが、初心者にも分かりやすいようにイラストを多用し、主張の根拠となる出典も厳選して載せました。
先日、NHKの番組でも特集されたように、インプラント治療の合併症に世間の注目が集まっています。
インプラントの合併症の中でも、頻出度が最も高いのがインプラント周囲炎です。
インプラント周囲炎は、高い割合で発症し(インプラントの約40%以上の有病率ともいわれています)、一度、発症してしまうと、確実に完治させる対処法はありません。
対処法が存在しないのであれば、予防法を考えるしかないでしょう。
その予防法を、エビデンスの裏付けを確保しながら、イラストで分かりやすく示したのが本書です。
読了後には、ある2つのキーワードが頭の中に残っていたら、私の勝利です(詳細は本書をお読みください)。
インプラント治療は、インプラント周囲炎などの合併症なく経過したのなら、入れ歯やブリッジの欠点を克服できる素晴らしい治療法です。
是非、ご一読頂きたいです。

歯界展望3月号のTCH特集に寄稿しました

私の恩師で、東京医科歯科大学 顎関節治療部 部長である木野孔司先生が執筆した『完全図解 顎関節症とかみ合わせの悩みが解決する本』という本が、講談社より出版されました。
20
顎関節症は、難病のようにも思える、難しげなこの病名から、その治癒は非常に難しいと思われ勝ちですが、そのような心配はありません。
私も非常勤講師をしている医科歯科大の顎関節治療部では、約70%の患者さんは初診と、1ヶ月後の再診の2回で改善しています。
顎関節症は、病院で治療を行わなくても、自然治癒する人の多い、極めて良性な疾患といえるでしょう。
また患者さん自身の生活習慣が、症状を誘因したり、悪化させたりするので、患者さん自身のセルフマネージメントが必須である生活習慣病でもあります。
特にTCH(Tooth Contacting Habits;日中の上下歯列接触癖)は顎関節症の重要な関連因子として、治療部では注目しています。
TCHとは、いわゆる『くいしばり』とは異なる概念で、奥歯を軽く接している状態も含めての歯の接触癖です。
ある研究によると、上の歯と下の歯が接触している時間は、食事や嚥下、発音時などを含めても、20〜30分間程度であったと報告されています。
入れ歯を何度、調整しても、歯茎が痛くて噛めない患者さんや、歯磨きを欠かさずに行っても、虫歯が多い患者さんは、このTCHによって、顎や歯の負担が過多なのかも知れません。
事実、顎関節症の患者さんでも、このTCHを予防するだけで、治癒する患者さんがとても多いのです。
木野先生の本は、顎関節症の知識を分かりやすく、TCHも含めて教えてくれる、患者さんだけではなく、歯科医師にも有効なものとなっております。
ご参考にしてください。

また歯科医師の方には、歯界展望3月号がTCHの特集記事となっております。
医科歯科大顎関節治療部の7人の歯科医師が協力して執筆しました。
私は『顎関節症治療の戦術と戦略 行動学的因子•精神学的因子への対応』を担当しました。
先生方の日々の臨床の手助けとなれば幸いです。
歯界展望2011年3月号TCH特集石川分担

2011年1月30日(日曜日)、再び『ベーシック•インプラント外科実習コース』開講

来年の話となりますが、2011年1月30日(日)に『ケンテックインプラントのインプラント外科実習コース』を、神保町で開催します。

チラシが昨日、出来上がったのですが、すでに3名のドクターが申し込みをしたとの事。

参加ご希望の方は、是非、早目の申し込みをお願い致します。

この実習セミナーは第二回目となるのですが、各種インプラントシステムの製品としての特徴を知ることから始まり、辺縁骨吸収を抑制する埋入術式を理論からご理解頂き、実践するコースです。

また、器具縫合や簡単な減張縫合を参加者全員がマスターするまで、講師は帰りません!から、基本的な外科手技が曖昧な方は、是非、ご参加ください。

20110130ケンテック実習チラシ

石川歯科の日常 −iPadを待合室に導入しました−

石川歯科医院のホームページを多くの方に閲覧して頂き、真に有り難う御座います。

特に、院長のブログ『院長の独り言』は、本当に多くの方々に読んで頂いております。

現在、その『院長の独り言』の更新が滞り中ですが、今、院長は旅行中なのです…。

ウィーンやブタペストを中心に、東欧を旅しています。

帰国し次第、このブログで、東欧旅行についての報告をする予定ですので、今しばらくの間、お待ちくださいませ。

余りにもブログの更新が滞っているので、院長の健康状態をご心配され、激励のメールも頂きましたが、院長は全く元気です!

診療にも来週より復帰予定です。

お楽しみあれ…。

また、石川歯科医院の2Fと3Fの待合室に、iPadを2台、導入致しました。

症例写真の閲覧やゲーム•アプリ等、診療の待ち時間にお使いください。

勿論、iPadに興味があっても使い方の分からない方でも、当院のスタッフが優しく説明致しますので、是非、受付に申し出てください。

インターネットの閲覧も早いですよ!

ご来院をお待ちしています…

スライド1

ひとは年を重ねると、風景に興味が向くのでしょうか…

今朝、自宅より医院へ向かう途中、いつも通り、日野橋を渡りました。

車窓から見た光景は、重苦しい雲間の所々から光の柱が差込み、神々しいまでです。

日野橋より

村上春樹氏の小説『ノルウェーの森』冒頭の一場面を思い出しました。

主人公の『ワタナベ』君がハンブルク空港に降り立つ光景を、『フランドル派の陰鬱な絵の背景』と描いています。

今朝も、まさしくフランドル派の絵の背景のようでした。

そして『ワタナベ』君は、機内で流される曲、ビートルズ『ノルウェーの森』を聞き、頭を蹴り続けられる感覚に襲われましたっけ…。

私が小説『ノルウェーの森』を読んだのは、高校2年生だったと思います。

あの時は、小説の持つ雰囲気や主人公たちの会話のおしゃれさに憧れたものです。

しかし今、同小説を読むと、今度は私が頭を蹴られることとなるでしょう。主人公と同じように、ある曲が流れると、感情を乱されることもあります。

小説家の安岡章太郎氏が芥川賞の選考委員だった頃、いつかの選考委員会で、ある作品を評して、『若い人は人間に興味が向かうが、歳をとると風景に興味が行く』云々の文を書いていましたが、私も人並みに年を経ているのでしょうか。風景の変化に気をとられるようになってきました。

今朝の空気は非常に澄んでいて、思わず美しい景色に出遭ったので、デジカメで撮影してみました。

『坂の上の雲』から子規の強さを思う;そこが空つぽになるぢやないか

誰もが自分とは何者なのか探しはじめた時代。日本人にとって、それが明治でした。

実在の不安が生じたのです。自我が生まれたといっても良いでしょう。

現在、終身雇用制度が崩れ、派遣社員制度が法律の下、認められました。封建制度下における“家”とは少しく異なりますが、第二次世界大戦後の“家”に似た存在は会社であり、日米安保下の国家体制であったのではないでしょうか。しかし、冷戦が終わり、グローバリズムの波が押し寄せるに及んで、“家”は再び壊れました。われわれは、また新種の実在の不安に向き合わねばならないのでしょうか?

立場の規定されぬ自我は非常に脆いものです。明治人は、ある者は武士道に自我を求め、ある者は神を見出しました。

 ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』と題された絵は、常に不安を喚起します。

その実在への不安を克服し、その人生を見事に写生俳句の世界で昇華させたのが正岡子規だと思います。

当時、死病であった結核に身体を蝕まれながら、死に至るおよそ十年間、子規の写実精神は輝きを増していきます。

子規が死の二年前、根岸の自宅における寝たきりの床の中で、脊髓カリエスの激痛に耐えつつ詠んだ短歌が残っています。

くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨の降る

死を自覚した人の歌には思えない程、冷静な写実の視線が生きています。本当に、子規は強いひとだと思います。

少年小説が有名で、子規の俳句の弟子でもあった佐藤紅緑が、『糸瓜棚の下にて』というエッセイに、子規のある思い出話を綴っています。子規の強さを思うと、より胸に応えるエピソードです。

『(引用はじめ) 或日。
 期せずして同人が六、七人先生の枕頭に会した。三並良氏(先生の従兄弟)が久し振で訪ねて来た。先生の機嫌が好かつた。其の時は先生が墨汁一滴(?)に自力他力の問題を書いた時なので哲学者の三並氏も気持よく先生と談論した。其れから間もなく三並氏は暇を告げて起ち上つた。
「良さん!」
 突然先生の叫び声が聞えた。同時に先生は声を挙げて泣き出した。僕等は只々驚いてどうしたのかと怪しむばかりであつた。三並氏は棒立になつたまゝ動かない。一座は全く悽然としてしまつた。すると先生は泣きながら言つた。
「もう少し居ておくれよ。お前帰るとそこが空つぽになるぢやないか」
 これですつかり解つた。同人靄々として団欒して居たものが、一人でも欠けると座敷が急に穴が明いた様に調和が乱れる。其れが先生には堪らない苦痛であつたのだ。三並氏は座に複した。ものの十分も経てから先生は晴やかに言つた。
「もういゝよ良さん。帰つてもいゝよ」
 三並氏の眼鏡の底が涙に光つて居た。(引用終わり)』

自我が確立しても、孤独は死に至るまで、人に寄り添うものなのですね…。

子規の生きざまは、常に私を導いてくれます。

広津和郎『蚤と鶏』と捕鯨問題

今朝、テレビを見ていると、例によって、反捕鯨団体による、日本の調査捕鯨船に対する妨害行為が報告されていました。

水産庁によると、日本時間17日午後3時ごろから午後5時ごろにかけて、反捕鯨団体シー・シェパードのスティーブ・アーウィン号が、「第2昭南丸」の進路にロープを投げ入れたり、緑色のレーザー光線らしきものを発射するなどの妨害行為を行ったらしいのです(フジテレビの配信)。

オーストラリアの首相に対して、反捕鯨団体に港を貸すなどの協力ともとれる行為を止めるように、鳩山首相が求めたばかりなのに。

この反捕鯨行為は、この季節の風物詩になっては困る。調査捕鯨船や水産庁など関係者の方々のご苦労を思うと、心が痛むばかりです。

この毎度の報道を見聞きすると思い出すエッセイがあります。

奥本大三郎氏編著『百蟲譜』という、虫に関わる小説やエッセイのアンソロジーで読んだ広津和郎氏『蚤と鶏』です。

その中のエピソードで、一つは日本人が四足を食べなかった時代の話。蚤も殺せず、蚤を捕まえると殺さずに竹筒に溜め込み、それでも一杯になると、遠い川に捨てに行って、後ろを見ずに逃げ帰ってきた話。

次は、その対極の話。鶏をつぶす前に、その眼を潰して暗闇で飼い、鶏をブクブク太らせてから殺して食べるという残酷な話。

作者の広津氏は、この両極端の話を聞いて考えます。そして(引用始まり)、

『私はその晩寝床に這入ってからも長い間この二つの話を考へて見た。が、なかなか解決はつかなかつた。今でもつかない。今後も恐らくなかなかつかないに違ひない。

ただ私に解るのは、この両者の態度とも、私には同感し得ないといふ事だけだ。

鶏の眼をつぶすのを徹底的だと思ひ得る人もあるだらうが、そんなのを私は好かない。文壇でもかうした事に、その「徹底論」を持つて行かうとした単純な人間が、今はだんだん尠くなつて来たらしいが、以前にはかなりあった。自然主義が生み出したセンチメンタリズム(一寸センチメンタリズムと反対のものに見えるが、これこそ悪いセンチメンタリズムだ)の一つも、丁度かうした傾向を取るに至つた事を覚えてゐる。

だが、今はさうした傾向が文壇、思想界に下火になつた代りに、今度は蚤の始末に困つて、竹の筒を遠い川まで投げ込みに行きさうな人間が、大分多く生じさうな現象を呈してゐる。原の中で沢山の草を踏みつけて置きながら、唯一本の草を摘まうか摘むまいかと思ひ悩んだ揚句、たうとう摘まずに帰つて来たと云つて、それを一つの美事であるかのやうに、「私は草の生命を考へた」などとみづから得意になり愉快になつてゐる連中が、ウソでもなく、誇張でもなく、ほんたう近頃はゐるのである。

かうした認識不足のセンチメンタルな自己陶酔家達を、私はやつぱり好かない。

若し敢て押し切つて云ふならば、この両方の態度まで傾かないところに、此両方の態度を否定もしない、又肯定もしない、と云つて又無関心でもなければ、関心もしないところに、恐らくわれわれの行く道があるのだろう。そしてそれを導くものは恐らくわれわれの「心臓」だろう。自然と不自然とを敏感に見分ける「心臓」……併し此処まで云へば、それ以上は各人の問題だ。』

長い引用でしたが、捕鯨問題も根本にあるのは、広津氏のいう「心臓」の鈍感さ、あるいは(これは勘繰りなのかも知れないが)人種差別の現われのひとつなのかも知れません。

内田樹氏『日本辺境論』を読む

いま話題の新刊に、内田樹氏『日本辺境論』があります。私も大変面白く読了しました。

その解説に、同書の明確な要旨が記載されているので紹介しますと、

『常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ』とまとめています。

私が、特に興味深かったのは、近代日本の解釈です。

日本は明治維新より、それまでの中国の王朝を「世界の中心」とする華夷秩序を捨て、帝国主義という新しい「世界の中心」を取り入れ、日清・日露戦争と勝利しました。しかし、その次の「世界の中心」であるところの、ヴェルサイユ条約による「新しい国際秩序の創出」を理解できなかったと訴えます。欧米の人々は第一次世界大戦を通して、帝国主義の次の国際秩序を模索し始め、特にヨーロッパの人々においては、帝国主義の手段である戦争にコリゴリし、国際協調を求めていたのだと。

その結果、大東亜共栄圏の理念を持ち上げ、日本自体を中華としてしまって、本来の「辺境の民」としての日本人像を見失い、敗戦したと解釈しています。

明治から第二次世界大戦の敗戦、そして現代に至るまで、「国際社会はこれからどうあるべきか」といった強い指南力をもったメッセージを、日本はついに発信できなかった。ただ生き延びるのに精一杯だった。そこから更に論を進め、辺境人の「学び」は効率が良い等、筆者の教育論や日本語論へと展開します。この辺境人的な囚われが、日本の宿痾であり、強みである。とことん辺境で行こうと、内田氏は訴えています。(同じ内田氏「街場の教育論」もお勧めです)。

話は飛びますが、今月訪中したカナダ首相に対して、冷遇をもって中国政府が対応したことが、新聞各紙で報道されました。記事によると、人権重視の姿勢を全面的に打ち出し、中国の人権や少数民族政策を批判したカナダへの見せしめとしたようです。

この記事を読んで、内田流に解釈すれば、日本が強い指南力をもったメッセージを発信できない一方、中国の宿痾は華夷秩序による拡大主義ではないかと思いました。

いまコぺンハーゲンでCOP15(国連の気候変動に関する国際会議)が開催中です。

議題は、温室効果ガスの排出削減についてです。日本は、「2020年に温室効果ガス排出量を1990年比25%削減する」という非常に高い目標を掲げていますが、世界最大の温室効果ガス排出国である中国の目標決定は非常に抑えられたものです。また、世界第二位の温室効果ガス排出国であるアメリカは、2005年比で17%減(90年比で約4%減)です。

冷戦後のアメリカは、唯一の超大国として君臨し、イラク戦争など国際協調をないがしろにし勝ちでした。つまり、その姿は極めて覇権主義的です。

また、中国は、30年後にはGDPがアメリカを追い越し、世界一になると予想される、新時代の超大国です。

「ゴーマニズム宣言」で著名な小林よしのり氏は、「中国人民共和国とアメリカ合衆国は人工的な国家という点で類似している」と述べています。両国社会の純利益追求的考え方も似ています。

国際社会に強い指南力をもったメッセージを発信できても、他者を自己に都合の良いように変化させる欲望が強いのも考え物です。

2033年前後には、およそ人口15億人というピークに達する超大国が、お隣に存在します。今のような国の有り様を示す中国が、世界のリーダーシップを発揮できるのか非常に疑問ですし、アメリカの代わりに、中国という新しい覇権国家が出現するのか不安です。

内田氏の訴える“辺境の民”としての功利性だけで、国として自主、独立を保てるのか、疑問が残りました。

信頼の喪失について

週明けの新聞を開くと、いつも目に付くのが『支持率』という言葉です。今朝も、世論調査の結果、現政権の支持率低下が記載されていました。

私には、このように頻繁に世論にお伺いを立てる必要性が理解できません。

しかし、政治においてだけでなく、あらゆる分野において世論調査が、日々行われています。勿論、医療についての世論調査も、多種行われています。

インターネット上で検索すると、歯科においては歯科医師過剰に対する世論調査が出ていたりしますが、医療全般においては医療崩壊に対する世論調査が多く為されているようです。

『全く、世論調査が役に立っていないのか?』と言われれば、そうとは言い切れないのだけれど、何か引っかかるのです。

例えば、諸問題の専門家が日頃の研究の成果をまとめて、問題点とその解決法を提示してくれれば良いのに…、と思うのです。『専門家が信頼できないから』と反論されるかも知れませんが、もう少し専門家の意見に頼って良いのではないかと。

歯科においても、セカンドオピニオン全盛の時代です。確かに、医師も患者さまも人間同士、相性が合わない場合もあるのでしょうが、深刻な医療不信が背景に存在しているのだと感じます。

あらゆる権威に対しての信頼が失われてきている昨今でしょうが、社会全体を覆っている、この不信感の連鎖は、日本社会の活力を低下させているのではないでしょうか。

医療においても不信感の裏返しか、何事も統計のデータを基盤する医療が、Evidence-Based Medicine(EBM;根拠のある医療)と盛んにもてはやされて、医療を提供する側も統計結果に頼りすぎてしまう。私も医療統計を研究に用いてきたので、その重要さは身に沁みて感じていますが、実際に患者さまに数字ばかり並べても、非常に味気ない、素っ気のない関係になってしまうでしょう。しかも、データの用い方を誤ってしまうと、医療への不信感を助長してしまう危険性をはらんでいます。

その延長線上に、Narrative Based Medicine(NBM;物語と対話に基づいた医療)という考えが提唱されています。キチンと食後に歯を磨けば、虫歯にも歯周病にもなりにくくなるのは、今や、患者さま皆さんが知っている常識です。ただし、正しい歯磨きを実行して頂くのは、大変難しいことです。単純に歯磨きを強く指示するのではなく、患者さま一人ひとりの個性に合う方法を見つけるのが、歯科医院の力なのでしょうし、信頼なのでしょう。

一番大事なのは、人と人との信頼なのです。

リストラや派遣切りといった、非常に残酷な言葉が、社会の信頼を切り裂かないようにと思うばかりです。

『いのちの日』から思うこと

12月1日(火)は、『いのちの日』でした。自殺を減らそうという国の方針に基づいた日だそうです。

日本では、1998年頃より年間の自殺者は3万人を超えています。特に、男性自殺者の増加が顕著です。女性に比して日本人男性の平均寿命が低い、ひとつの理由になっているようです。

昨年度の警視庁の報告によると、その原因・動機においては、半分は健康問題だそうですが、経済・生活問題が二番目となっています。これらの問題に、さらに自殺を後押ししてしまうのは、気分障害の問題、つまり『うつ』が大きく影響しているのでしょう。

今朝の読売新聞によると、うつ病の患者数が、ここ10年間で2.4倍に増加しているとのことです。その背景には長引く不況からの影響もありますが、杏林大保健学部の田島治教授(精神科医)によると、「うつ病の啓発が進み、軽症者の受診増も一因」と指摘されています。

うつには臨床上の三大症状がありまして、①抑うつ気分や意欲の低下②身体症状③睡眠障害です。

特に、われわれ歯科医院に受診するのは、二番目の抑うつから生じる身体症状です。昔は『仮面うつ病』といわれたものです。

わたしは東京医科歯科大学顎関節治療部の講師を務めている都合上、うつから生じる顔面部の身体症状を診察する機会が多くなってきました。例えば、かみ合わせの違和感や舌や顎の慢性痛です。

うつが基盤にあるかみ合わせの違和感の場合、歯の治療では治りませんから、歯科医師とトラブルになったり、訴訟に発展するケースもあります。わたしの患者さまの例では、100箇所以上もの有名な歯科医師の治療を受けたにも関わらず、かみ合わせの違和感がさらに強まった方もいられました。100箇所もの歯医者さんで歯の治療をすると、健康な歯も『かみ合わせが悪い』との理由で削られてしまい、文字通り酷い口腔状態でした。しかも違和感は強まるのです。この方の場合、適切なうつの治療により、現在は違和感が消失しています。

でも、一生の間、かみ合わせの違和感が再発しないかは分かりません。自分の経験では、かみ合わせの違和感が消えたら、しばらくして耳鳴りに悩まされた方もいらっしゃいます。まあラカン的にいって、少しでも患者さまのつらさが減れば、医者としては勝ちなのですが…。

なかなか心の治療は難しいものなのです。

 

最近は、再発を恐れる、かみ合わせの違和感の患者さまとお話する時、『違和感が完全にゼロになることはありませんが、今よりは違和感を忘れている時間が長くなりますよ』としています。もちろん、完全に消失する方もいます。

読売新聞の記事では、うつの啓蒙が進んでいるとの結論ですが、うつの身体症状にスポットを当てると、まだまだうつとは分からずに身体科の医院で治療を受けている患者さまが多いような気がします。

NHKドラマ『坂の上の雲』が始まりました!

言わずと知れた司馬遼太郎先生の代表作です。過去、映像化されなかったのが不思議ですが、先生のご意向であるとの噂を聞きました。

私は高校時代に原作に触れましたが、大筋の話から逸れる余談が多く、読み飛ばした話が多かったのも事実です。

今から15年程前に、これも司馬先生の著作『明治という国家』を読み感動して、再度、『坂の上の雲』にチャレンジしたのですが、今度は余談が楽しくて読了するまでかなりの時間が掛かってしまいました。いまも時々、『跳ぶが如く』やエッセイなどの司馬作品を部分的に、余談を楽しむために読み返したりしています。

後に書かれた『昭和という国家』においては、司馬先生の個人的な体験による影響で、先生が苦しまれて書かれているのが察せられる、暗い時代の描写に評価が分かれているようですが(いわゆる“司馬史観”といわれているようです)、反転、『明治という国家』の明るい、楽天的な描写を楽しみました。

勿論、、『明治という国家』には明るいだけではなく、明治維新における賊軍である徳川幕府の悲劇も描かれます。

小栗上野介における維新の貢献者としての側面に大義の大切さを教わり、維新後に新政府内に入った勝海舟への嗜好を楽しみ、それらの批評者としての福澤諭吉の矜持を学びました。いずれも学校の授業では教えてもらえない、サムライ徳川幕府におけるグレート・ファーザーたちの存在でした。

今回のNHKドラマのエンドロールにおいても、原作が、『坂の上の雲』と『明治という国家』と記されていたので、両者で補強し合う若き明治日本の物語を楽しみたいと思います。

しかし、当時、南下政策を進める強国ロシアに立ち向かった明治の人々の気持ちを思うと、エンドロールの音楽と映像には、涙腺をヤラレてしまいますね~。しかも、その曲の題名が『stand alone』ですから。