* You are viewing the archive for 6月, 2016

院長の独り言 435 ;熊本地震

熊本の大震災には、本当に我が国が地震国である事を、あらためて再確認させられました。

東北、神戸の大地震。

大津波や大火災の恐ろしさが癒えぬどころか、増大していると云うのに、今度は九州での大惨事です。

阿蘇山よ、桜島よ、どうか静かに眠っていて下さい。

この大地震に誘発されないように心から願っています。

我が国日本は、自然に恵まれ、その上、四季があり、気候にも恵まれて、世界でも大変住み易い国の一つです。

ただ、地震さえ起きなければと云う条件が付きますが。

地震が起こる度に、こんなに科学が発達している日本で、何故、地震が予知出来ないのか常々に不思議に思っています。

あれだけの大きな変動が広範囲の地下で起こるのですから、一月前くらいから何かの兆候の変化があるような気がしてならないのですが。

例えば、一日前、いや、一時間前にでも予知出来れば、大幅に被害は小さくなると思うのは私だけではないでしょう。

予知さえ出来れば火事は殆ど防げます。

津波は防波堤を作っておけばと思いますし、地震に強い建物は当然として、その建てる場所は、崩れないようにするか、そのような場所は家の建築を許可しなければ済む事です。

外国に援助するお金があるのなら、先ず、自分の国の災害地に援助して下さい。

税金を災害地の皆様に使うなら国民は全員大賛成に決まっています。

日本ほど真面目で優しい国民はいません。

災害で苦しんでいても、それに耐えて頑張っている大勢の被害者のために、手を差し伸べるのが政府であり官僚の大切な仕事だと思います。

今日も朝から被災地の熊本では雨が降っているそうです。

何を言っても慰めにはならないのは分かっていますが、復興に頑張って下さい。

些少で申し訳有りませんが、小生とすれば税金を払う以外なす事が出来ません。

院長の独り言 434 ;斜め読み

中学生から高校生の頃、作者、和洋、内容などを問わず、何しろ色々な分野の本を沢山読んで、知識を頭に詰め込んでやろうと思いました。

どのような方法で本を読むと、短い時間で沢山の本を読破出来るか、色々な方法を試していた時期がありました。

昔から本を『斜め読み』すると、早いスピードで、文章を大量に読む事が出来ると言われています。

自分としては、実験するつもりで、目を大きく見開いて、1ページ目の右上から全ページを睨み付けた後、普通、本を読む時のように、目線を真下に持っては行かずに、左斜めの下の方向に字を追っていったのです。

目は見開いて、全体のページを見るようにしました。

最初は、全体の字が、ぼやっとして、目も涙目、頭の中も混乱、文の内容もしっかりとは把握が出来ませんでした。

ところが、十日ばかり我慢して必死に『斜め読み』を続けていると、驚く事にだんだんと内容も掴めるようになり、そして、何と言っても、普通の読み方よりも、4倍も5倍も早く読めるようになったのです。

『やったぜ!』

同じ読書時間で、人の何倍も本が読める優越感はたまりません。

しかし、大学に入り、友達と麻雀や囲碁、そして、大学院に行き、研究で忙しく、開業してからは、有り難い事に、毎日多くの患者さんを診させていただき、言い訳にはなりますが、読書する時間がドンドン少なくなってしまいました。

少なくなっただけでは無く、『斜め読み』の弊害が出てくるとは本当に驚いています。

『斜め読み』をしていたので、内容を読み取らずに、ただ早く読む習慣が着いてしまい、熟読しなかったので、本来の『文』の面白みを捨ててしまったのです。

結果、読書がつまらなくなってしまい、本を読まなくなってしまいました。

おまけに、『斜め読み』した頃の本の内容を、殆ど忘れてしまっているのです。

つくづく本はユックリと読み、よく内容を理解しながら先に進まなければ自分の身に付かないと云う事を思い知らされてしまいました。

今となって、『斜め読み』していた時間が全く無駄だった事を心から後悔しています。

『斜め読み』していたより前に、ジックリ読書していた宇宙の本とか、明治、大正の頃の文豪文学小説は、70歳を超えた今でも内容をシッカリ記憶しているのです。

ボケ防止の為と、本を読む楽しさを思い出して、これからは一字一句を大切に読書したいと思っている今日この頃です。

院長の独り言 433 ;銭湯の気持ち良さ

私にとって、『お風呂』と言えば、子供の時分から、町の大衆風呂、いわゆる『銭湯』のことでした。

小学生の頃は、外で散々遊んだ後に、いつも友達と一緒にお風呂屋さんへ一番風呂に入りに行っていたのです。

綺麗だし、広いし、仲間の友達と一緒に行っていたので楽しくもあって、お風呂は大好きでした。

公団住宅やプレハブ住宅が個人住宅として建設されるようになってきた昭和40年頃になると、何処のウチにも内風呂が当然のように付くようになり、昔の長屋は消失してしまい、お風呂屋さんも一緒に無くなったような状態になってしまいました。

自分は、親の務めの関係で、一戸建ての官舎に入った中学生の頃には、内風呂が我が家にもありました。

その頃から70歳を超えた現在まで、銭湯には一度も行っていません。

ご多分に漏れず、我が家の内風呂は、小さなお風呂でしたので、銭湯で味わった開放感は、たまに旅行に行った時に入る温泉でしか経験しなくなりました。

結婚してからも、小さな内風呂でしたので、風呂に入るということは、イコール仕事で汚れた身体を洗うための手段といった感じでした。

首まで浸かり、手足を思い切り伸ばすスタイルで風呂に入ることは、普段は夢のまた夢になってしまい、本当に残念。

疲れた身体を癒す手段としてのお風呂は、私としては、温泉にたまに行った時までの『おあずけ』となってしまったのです。

ところが、狭い内風呂に慣れてしまったのか、温泉の大浴場に入っても、縮こまった体型で浸かると云う悲しい習慣が身に付いてしまい、情けない事この上ないのです。

一方、ヨーロッパやアメリカではシャワーで身体を洗うのが、一般的です。

お湯に肩まで浸かって入ると云う習慣はありません。

ところが、この頃は、日本の影響を受けて、海外でも、檜の風呂が個人の家庭でも流行(はや)りだしたとのことです。

やはり、全身浸かって入る風呂は、何とも言えない快感を感じてしまうのは、全世界共通なのかも知れません。

また、何故『風呂』と云うのかと言いますと、昔は、お湯に浸かる事は無く、今で言うサウナ即ち『蒸気湯』だったそうです。

温かい風にあたるイコール風呂となったのだそうです。

江戸時代は浮世絵には風呂に入っている美人画が描かれているのですから、銭湯が存在していたのは事実です。

風情のある『銭湯』が何時まで我が国に存在出来るのでしょうか?