院長の独り言 224 ; 日々の生活に新しい発見を…

茶華道教授の阿部治子先生の御好意により、当院の歯科衛生士2人が、煎茶を習い始めました。
阿部先生は以前より、当院の患者さんです。
先生が茶華道の先生であるとは、以前から存じ上げていたのですが、全国的に大活躍されている忙しい身体なので、まさか教えて頂けるとは思っていなかったのです。
何しろ、阿部先生は茶道の師範を指導している方です。
思ってもいなかったのですが、『どうぞ』と気さくに声を掛けて頂きました。
ご教授して頂く歯科衛生士2人、有若さんと蓮実さんは、喜び勇んで教えを請う事になったのです。
2人に先生の授業の感想を聞くと、『礼儀作法から日本の歴史まで、色々と教えて貰い、本当に楽しい!』だそうです。
お茶を点てる方法を主に習うのかと思っていたのに、教養を身に付ける事が出来て、目から鱗(うろこ)との事です。
そして『お茶』に対して考えが、180度、変わったそうです。
小生も歴史を学ぶ事が好きなので、茶道についての本も少しは読んでいるのですが、2人もてっきり、茶室で抹茶を頂く作法を習うのとばかり思っていました。
ところが2人の話によると、勿論、それも教えて貰うのですが、お茶が我が国に伝わってきた歴史や使う道具の由来だけでなく、茶道とは全く関係ないと思われていた事柄が、実は、茶道と重要な結び付きがある事を教わるのだそうです。
一つの例として、茶道には、扇子の所持が絶対不可欠だそうです。
先ずお茶を始めるに当たって、扇子を自分の前に置き、結界という儀式を行ってからお茶を始めるのだそうです。
2人は、抹茶は大変なので煎茶の作法を、先ず学習する事になりました。
抹茶の作法をマスターするのには、10年以上の歳月が必要との事です。
煎茶の作法をものにするのでも、少なくとも、2~3年間は掛るそうです。
先生との会話は凄く楽しいし、そして美味しい和菓子付きの授業。
2人の嬉しそうな話を聞いていると、私も参加したくなりました。
お茶は元々、中国の後漢時代に飲まれるようになったと歴史書には書かれています。
苦い飲み物で、薬として飲まれていたようです。
『茶』は、広東語で『チャ』であり、福建省の言葉では『ティ』と発音し、二つの伝わった系統で、発音が異なってしまったのです。
日本に伝わった発音は、広東語の『チャ』と云う事になります。
お茶は平安時代に入って、空海、最澄らが、遣唐使として留学していた唐の国から持ち帰ったものと言われていますが、最近の学説では、奈良時代には既に伝えられていたと云う説も言われています。
しかし、お茶を飲む習慣は、しばし衰退してしまいます。
その後、お茶をただの飲み物では無く、日本独自の文化である『茶道』として再構築させたのが、鎌倉時代の禅僧栄西と言われています。
室町時代になって、村田珠光が僧侶の立場から『侘び茶』という新しいお茶の概念を創作し、それを弟子の武野紹鴎が引き継ぎ、ついに千利休が完成させたとされています。
『草庵』や『にじり口』、『露地』など、現在、我々のイメージする、茶道の世界観が出来上がったのです。
茶道は江戸初期までは、僧侶や武士の社交だったそうですが、江戸中期頃には、庶民にも浸透していったようです。
現在は、『表千家』、『裏千家』、『武者小路千家』の三千家の家元に分かれています。
2人の衛生士さんは、阿部先生に『煎茶』の道をご教授して頂き、日々の生活に新しい発見を見出したとの事。
先生のお宅に行くのが、本当に楽しみだそうです。
阿部先生、有り難う御座います!

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