院長の独り言 128 ; 50年前の山陰旅行(パート3)

出雲から鳥取に移動した後、島根の益田に行ってみました。

本当に行き当たりばったりの気儘な旅だったので、場合によっては野宿をするといった感じでした。

行きの寝台列車『出雲』号を予約していただけで、何処へ泊まるのかは現地で決定する事にしていたのです。

後にも先にも、こんな気儘と云うか、チャランポランな旅は二度と経験していません…。

まさに若さの特権ですね。

益田で泊まった旅館は、魚釣り専門の古風な旅館でしたが、目当ての釣りがオフシーズンだったので、お客は我々二人だけでした。

東京から来た事が分かると、旅館の主人、女将さん、お手伝いさんの皆さんが『よくぞ遠い東京から来てくれた!』と大歓迎して呉れたのです。

今では考えられない事ですが、島根の人からみると、その当時、東京から来た人は、まるで遠来の異邦人のような存在だったのです。

益田に釣りに来る人は遠いと云っても、精々、大阪止まりで、さすがに東京からは物好きでも来なかったようです。

大学生の貧乏旅行と分かると、夕食は赤字覚悟の大御馳走を振る舞って呉れた上に、次の日は頼みもしないのに、益田海岸の沖に浮かんでいる小さな島に、魚やサザエなどの漁に連れていって呉れました。

その小島では小魚や色々な貝が沢山採れたので、その海岸で、旅館から予め用意してきた野菜や豚肉などと一緒に、美味しい料理を作って頂き、盛大な酒盛りとなったのです。

この歳になっても昨日のように覚えている、この親切に出会えた事は、ひとえに益田の旅館の人の心使い…。

あらためて心より感謝の気持ちで一杯になります。

それにしても汚い服装の、今風で云えば、ホームレス状態の二人の苦学生を、よくぞ歓待して呉れたものだと感謝を込めて思うのです。

この旅より帰ってから礼状を出したのは勿論です。

『また来るように…』と、旅館のご主人から返信は来たのですが、その後は、すっかりご無沙汰状態で今日まで来てしまいました…。

多分、あのように心暖まる接待は、わが人生で二度と訪れる事は無いでしょう。

(次回に続く)