院長の独り言 196 ; 今春、新社会人となる君へ なるようになるものです!

小学校、中学校、高校、大学そして大学院と、それまで生きて来た人生の大半が学生だったので、若かった私は内心、社会に出て働く自信もなく、何事もなし得ず一生が終わってしまうのではないか?と不安でした。
両親も、私の行く末がどうなるのか、さぞや心配だった事でしょう。
長い学生生活を許してくれた両親に、今でも感謝しています…。
いつもお袋は、『急がば回れだよ!』が口癖でした。
一方、親父はと云うと、『勉強は若い時にしておけ!』でした。
やっと大学院を修了した時には、『これで勉強がひと段落した!』と解放感を感じたものです。
ところが、いざ学生生活を終了してみると、そこが出発点である事、ここからが本当の試練が始まる事に、改めて気づいたのです。
卒業後は臨床系講座の教官になった為、治療が上手く出来る様にならなければ、何の価値も無いのです。
博士号を取得したとはいえ、臨床の経験は、まだヒヨッコ程度です。
新米の助手になって学生を教えるのは、烏滸(おこ)がましい事、甚だしいと云ったところです。
患者さんに、しばしば学生に間違えられても仕方なかったのです…。
当時、私は童顔だったので、余計に間違えられてしまいました。
東京大学の高名な内科の教授がその著書に、自身の臨床経験を振り返って、『自分の誤診率は40%を超える』と告白していました。
勿論、厳密に細部まで徹底的に調べ上げての事で、治療結果は別だったのでしょう。
ましてや、歯科医師免許を貰ってから5年程度の新米ドクターは、一生懸命研鑽するしか無いのです。
当たり前ですが、患者さんは自分の身体を預けるのですから、担当医が果たして上手く治療してくれるのか?心配に決まっています。
内心、『この若造で大丈夫かな…』と思っているに違いありません。
いま告白すれば、この時、大学助手だったので、大学の権威に随分と救われたものでした。
一応、学生を教えながら、実は自分が腕を磨いていたのです。
しかし、学生さん達はそんな事情に、気付いていなかったことでしょう。
でも、教えなければならない治療の勘所は、私は随分と気を使って、丁寧に何度も教えていたつもりです。
患者さんの見えない所で、学生を怒ったり、褒めたり、すかしたり…。
何しろ患者さんからは、コチラが学生と間違えられるほどに気を使って、学生に対応していたのですから。
いま振り返ると、患者さんに怒られたり、感謝されたり、学生に気を使ったりで、私の社会人としての出発は、とても順風満帆とは云えなかったのでした。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.