院長の独り言 171 ; 今年は、石川歯科が開業して39年目になります!

今年は、八王子市で歯科医院を開業してから39年目になります。

月並みに言い表せば、アッと云う間の39年間と云う事になります。

しかし開院した日を思い出すと、大変な幕開けでした。

昭和47年12月、八王子市内有数の繁華街であった、甲州街道沿いの八幡町にある6階建てビルの3階で開院しました。

広さは約30坪、診療チェアー2台、レントゲン室、技工室、受付け、待合室、そして我々スタッフの控え室、トイレ、化粧室と云った感じです。

開院初日は家内が受付、そして私が治療を担当。

朝7時に家を出発し、『記念すべき開院の日なのだから、何が起きても頑張って行こう!』と2人で気合いを入れて、八王子の診療室に向かいました。

開院の為に準備万端整えての第一日目です。

診療室はピカピカの新装、隅から隅まで塵のひとカケラも無いほどに掃除を完璧にして、午前9時に期待を込めて診療所を開いたのですが、予想に反して午前中は1人の患者さんも来ませんでした。

当時は、歯科医師が極端に不足していて、どの歯科医院も患者さんで溢れていた時なのにです…。

開業した先輩達は、ことごとく開業初日から千客万来と言っていました。

ところが、午前中は1人の患者さんにも来て貰えなかったのです。

開院告知の広告も、お怠り無く新聞の多摩版に出していたのです。

何の根拠も無いのですが、午後は患者さんがきっと来てくれる!と信じてはみるものの、何となく心細くなってきます…。

自分としては、開業すると決めた1年以上前から、暇を見付けてはアチコチの歯科医院をコマメに見学に行っていたのです。

そして、自分なりに頭に描いていた理想的な歯科医院を、業者さんに図面に起して貰い、歯科専門の材料店や内装屋さんにもお願いしてのヤッとの開業でした。

『これなら患者さんも、快適に歯科治療が受けられるのでは…』と自信半分。しかし未経験の開業でしたので、不安も半分ではじめたのです。

その不安の方が見事に的中したようで、午後5時になっても相変わらず患者さんは来ません。

家内の悄気(しょげ)ている顔を見ながら、暫くの間は患者さんが殆ど来院しない、非常に厳しい展開になる事を覚悟したその時、おばあちゃんが血相変えて『孫が、歯が痛い痛いと大泣きしている!』と飛び込んで来たのです!

おばあちゃんの後ろからワァーワァー泣きながら、5歳の男の子が入って来ました。

『いやだ!いやだ!』と暴れ回って、なかなか口を開いて、診せて呉れません。

散々にテコズりましたが、相当痛いらしく、おチビさんは我慢の限界を超えた様で、しかも泣き疲れたのか、とうとう30分くらい経ってから、大きな虫歯が巣食う乳歯の抜歯が出来ました。

抜歯した後、麻酔も効いている事もあり、痛みから解放されたおチビさんは喜んで飛び跳ね、走り回り、診療室の床に敷いたばかりの新品の絨毯を血で染めてしまったのです。

結局、開業初日はこのおチビさんが唯一の患者さんでした。

折角、無理して、お金をかけて敷いたグリーンの絨毯が血で汚されてしまい、本当に泣きたい気分の上に、おまけに患者さんも全然来院して貰えず、前途暗澹たる気持ちになった開業初日でした。

ところが、このオチビさんの家の皆さんが大変優しい人達で、開院の初日に新品の絨毯を汚してしまったと云う事も有ったのか、その後、おチビさんに付き添って来たおばあちゃんが患者さんを沢山紹介して呉れました。

また、息子さん夫婦をはじめ、親戚や知人の方には、今もって石川歯科に治療に来て頂いています。

あのおチビさんはと云うと、今は立派な青年になり、模範的な患者さんに変身しています。

残念ながら、石川歯科の恩人とも言えるおばあちゃんは、先年、天国に召されてしまいました…。

現在、新しいビルに移り、沢山の石川歯科医院のファンに支えられて、スタッフ一同、益々、気合いを入れて頑張っていこうと決心しているのです。

受診して頂いている患者さんや石川歯科医院を支えて下さっている多くの方々に、有難うございます!と感謝の気持ちを、そして開業して無事に39年経った今、心より3 9(サンキュウ)と叫びたい気持ちです(ダジャレです…)。

幸い、息子も一人前のドクターに成長して呉れたので、患者さんに迷惑をかけずに引き継ぎが出来そうです。

今後も、石川歯科医院を宜しくお願いします。

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