院長の独り言 121 ; 移ろいゆく日々…

絶頂期の信長は好んで謡曲『敦盛』を、『人生50年…』と舞い謡いました。

今は80歳でも元気な時代です。

『赤ん坊は過去の自分、老人は未来の自分。来た道、行く道…』と、若い頃に、ある本で読みました。

また、幼児には愛情を、老人に対しては尊敬の念を持たなければいけないと書かれていました。

実際、自分が70歳を超えると、人生はあまりにも呆気なく短いものだと云う実感です。

幼年期、青年期、壮年期を、アッと言う間に通り過ぎてしまい、老年期に来てしまいました。

信長は謡曲を舞ってはいても、50歳で挫折するとは、よもや思いもしなかったでしょう。

燃え盛る本能寺で、さぞかし人生を短く感じ、愕然とした事と思います。

自分が若い頃は人生の長短など露ほども感じませんでしたが、現在は心の奥底から短く感じるのです。

だから、若い人に今、生きている瞬間を本当に大切に過ごして欲しいと願って止みません。

若者が頑張るのは当たり前ですが、と同時に、為政者も呼応して、色々と苦闘して頑張っている若者がいれば、援護手助けして当然です。

こんな事を書くと元気なお年寄りに嫌われてしまいそうですが、われわれ年寄りは頑張っている若者に、自分が蓄積した事を必死に伝えるメッセンジャーになり、静かに後進に道を譲っていくのが良いのではないでしょうか。

以前のブログに書いたように、70歳を超えても元気でいられるのが、われわれモンゴロイドの良いところです。

そろそろ古希になったら、旅行やスポーツなど元気で動けるうちに、趣味に生きる人生が大切だと思うのです。

何事か問われたら、親切に答え、若い人のアドバイサーに徹する事も大切ではないでしょうか。

お年寄りのニコニコと元気な姿が多く見られる国は、素晴らしい国である事、間違い有りません!

それに加えて、若者達が生き生きとして頑張っている国は、端から見ていても、ホッとするというか微笑ましく、未来の社会がもっと良くなるのではないかという予感と、安堵な気持ちにさせられます。

小生が心から願う事は、親は当然として、この国を司っている人は、この国の未来を担っていく若者が、われわれの後を引き継いで、この日本に生まれ育って心から良かったと思うような国にして欲しいのです。

一寸唐突ですが、熊でも鳥でもその子育てを記録映画などで見ると、感動してしまいます。

ところが子育ての時期を過ぎると、多分、本能の為せる技と思われるのですが、いくら子供が必死に甘えようとしても寄せ付けなくなってしまいます。

子供が、いくら死に物狂いに親に甘えてもダメです。

その態度はあまりにも毅然としているので、子供も諦めざるを得ません。

野生動物の記録映画で見ていても、その誰も寄せ付けない親の毅然とした姿と対照的に、愕然としている子供の悲しそうな顔に、つい涙が出てしまいます。

しかし、よく観察していると、子供を突き放すまでの間に、生きていくのに絶対欠かせない餌の取り方など必要最小限の術をキチンと教え込んでいるのです。

ただ産みっ放しにしているのでは無いのです。

甘やかして育てる時期はそれなりに甘やかし、ある時期は生きる為の手段をシッカリと学習させて、突き放す時期が来れば、幾ら傍に居たいと子供がせがんでも突き放してしまいます。

こう云う野生動物の子育てを全て参考にする訳では毛頭無いのですが、小生は、後輩に伝えて残さなければならない事はキチンと伝えて、ある時期に来たら、自分が築き上げてきた物に恋々とせずに、道を若者に潔く譲って、後は趣味に生きる様な人生が理想ですね。

熊や鳥とは少し違いますが、基本的には生き物は同じ様なものです。

生命は、過去、現在、未来とバトンタッチされて行くのです。

例えとして適当であるか分かりませんが、先年のオリンピックの男子400mリレー決勝で、陸上王国のアメリカでさえもバトンを落として失格してしまいました…。

一方、日本はバトンタッチを綺麗に成功させて、まさかの3位入賞、銅メダルでした。

小生も、自分の築いてきたともし火を何とか、上手くバトンタッチさせたいと思っている今日この頃です。