院長の独り言 144 ; 東欧への旅 第3日目 -スロヴァキヤ首都ブラスチラヴァからオーストリー首都ウィーンへ-

三日目は朝6時起床。

午前6時半にバイキング形式の朝食を頂く。

ホテルを午前9時に出発。

バスに乗り高速道路経由でスロヴァキヤの首都ブラスチラヴァへ向かう。

観光バスの運転手は中年紳士のスロヴァキア人でしたが、其の大人しい風貌の割りにはバスをバンバン飛ばして、3時間掛かるところを2時間程で目的地に着いてしまいました。

ブラスチラヴァの街並みは、まるで中世ヨーロッパにタイムスリップしたような歴史を感じさせるものです。

東欧の大都市には中央広場が必ずと言って良い程に存在していて、此の街もご多分に漏れず広場が有り、そこには自然と人が大勢集まって来るようになっているのです。

プラスチラヴァア街並み

その広場を中心に放射線状に路が延びていて、どの路からも広場に出られるようになっているので、迷子になりません。

バスはハンガリー国王の戴冠式が行われたと云う聖マルティン教会やベートーヴェン、モーツァルト、リストの記念碑を見ながらブラスチラヴァの街のホテルに到着しました。

街から丘の上にそびえ立つブラスチラヴァ城が見えます。

プラスチラヴァア城

城は街全体を見下ろしています。

ホテルに荷物を置き、昼食をとった後、いよいよブラスチラヴァ観光です。

ブラスチラヴァの昼食はブタペストよりズーット美味しい物で、久し振りに新鮮な野菜サラダを食す事が出来、メインのナマズのムニエルはカジキマグロのようで大変美味しく頂きました。

ホテルから街の中心までブラブラ歩いて行きました。

さっきバスの窓から見えていた聖マルティン教会や大作曲家の像を見学。

ミハエル門、大司教宮殿を通って例の如く広場に出て来ました。

広場のベンチには街の老人がのんびり日向ぼっこしています。

広場の一画に日本大使館がひっそりと存在していて、ガイドの人に言われて初めて気が付いた程でした。

ここで少し違和感を感じたのは、他の国の大使館は、祖国の国旗を綺麗に風になびかせているのですが、日の丸はクシャッと小さく丸まっています…。

突発事故とは思いますが、もう少し何とかならないものでしょうか?

ソロヴァキア日本大使館

何軒かお土産を売っている出店も有りましたが、買っている人は少ないようです。

一旦、ホテルに戻って、今度はバスに乗ってブラスチラバ城目指して坂道を上って行きました。結構きつい急坂です。

城から眼下のドナウ川とそこに広がる街並みを眺めると、何となく中世の為政者達が国民をどのように管理していたのか、その仕組みが垣間見えてきます。城から全て街の隅から隅まで監視出来るようになっているのです。

プラスチラヴァとドナウ川

そして、ドナウ川の存在が、この地域の人々にとっての生活の必須条件であると云う事が実際、此の場に立ってみると良く理解出来ました。

地図を見ているだけでは本当のところは分からないものですね。

お城から眺める風景はブタペストの王宮の丘の『漁夫の砦』から眺めた風景とそっくりでした。

休む暇も無く、またバスでの移動となりました。

例の如くバスはどんどんスピードを上げながらウィーンのヒルトンホテルに定刻より早く到着。

ウィーンは日本でも芸術の都として有名ですが、初めて訪れてみると、今までに訪れた町々よりズーッと活気が感じられて、流石、東欧一の賑わいです。

ウィーン到着

夕食は、ツアー搭乗員が絶対のオススメのレストランに案内して貰い、シュニッツウェルなどウィーンの名物料理を食べたのですが、本音を言えば、小生の口にはあまり合わないものでした。

毎料理、本当に味が濃くて、更に肉料理ばかりで、此の国の人達はよくも、この様にコッテリした料理を食すものだと感心してしまいます。

ガイドさんの話によると平均寿命は日本より10歳程度少ないとの事ですが、当然の事に思われます…。

ウィーンの街には活気が有りますが、食事はブラスチラヴァの方が断然、旨かった!

本日のバスでの移動距離は約250㎞。

歩行距離は万歩計で約2万歩。

本当に疲れました…。

(次回に続く)

・帰国後の後日譚

本日のニュース(10月9日)で、ハンガリーのアルミ工場で堤防の決壊により大量の酸化アルミニウムがドナウ川上流に流れ出し、その汚染が本流にも拡がり、被害が拡大しているとの事。

生活用水の汚染は他人事で無く心配です。

何しろ、ハンガリーだけで無く、東欧諸国にとってはドナウ川の大切さをこの目で見て来たばかりですから…。

二週間ほど前までハンガリーに滞在していたし、滞在していた時は勿論、何でも無かったのです。

被害が最小限で済むように心から祈っています。