院長の独り言 123 ; 蓄音機の調べ

小学生の頃から絵が好きだと云う事は、何回かブログに載せましたが、私が中学生の一時期、クラシック音楽に魅せられた時が有りました。

ベートーベン、モーツァルト、シューベルトなどの有名な作曲家の作った交響曲を聞くのが好きでした。

特に、ベートーベンの交響曲『1番』『3番』『5番』『6番』『7番』『8番』が大好きでした。

皆さんご存じのように、3番は『英雄』、5番は『運命』、6番は『田園』と呼ばれていますが、1番、7番、8番に特別な名前は付いていません。

小生はどちらかと云うと、こちらの名前の付けられていない交響曲の方が好みでした。

当時は今のように、カセットテープやCDは、まだまだ使われていませんでした。

唯一、録音した音楽を聴ける道具は、蓄音器があったのみです。

セルロイドを硬くしたような物で出来た、丸いレコード盤の上に細い渦のような溝が付いていて、その溝を針がなぞっていくと音が発生すると云う仕組みです。

幸運な事に、私が生まれる前から実家に、蓄音器があったのです。

まだ、蓄音器は音楽マニアの人しか持っていなかった、昭和9~10年の頃の話です。

お袋の話では、妊娠中、お腹にいる胎児に良い曲を聞かせると大変な情操教育になる事を、親父がある本で知って、初めて妊娠した時に、その当時では本当に珍しかった蓄音器を安月給だったのに無理をして買い込んできたのだそうです。

そして、お腹にいる子供に毎日、クラシック音楽を聞かせていたそうです。

勿論、私の時も親父は毎日熱心に、蓄音器を廻して様々な名曲を聴かせていたとの事です。

電気式では無く、ゼンマイの手巻き方式だったので、一曲ごとに結構、面倒臭い設定なのです。

それでも親父は頑張って毎日、蓄音機を廻していたそうです。

其のお陰なのか、兄貴も私もクラシック好きになったのかも知れません。

戦争が劣勢になって地方に疎開する時も、祖父の作った飾り棚とこの蓄音器だけを、父は大切に保管していました。

日本中、焼け野原になってしまい、一般的には、クラシック音楽がなかなか聞けなかった戦後しばらくの間、この蓄音器のお陰で、我が家ではベートーベンやモーツァルトの名曲を聞く事が出来たのです。

敗戦直後は暗い世相でしたが、クラシック音楽を聴く事により、少しは気分を和らぐ事が出来たのです。

大正生まれのお袋がモーツアルトの『ジュピター』やシューベルトの『未完成交響曲』の調べを口ずさむのには、兄貴も私も心底驚いたものです…。

私が中学生の頃になると、LPレコードの全盛期に入り、電気式になっており、操作も簡単で、しかも価格も大変安くなっていました。

現在は、CDのクラシック全集を買い込んで暇な時に楽しんでいる程度です。

あの明治生まれの頑固親父が、当時の最先端機器である蓄音器を買い込んで、情操教育を我々に良くする気になったものだと、今更ながら感心します。

また当時、お袋がクラシック音楽にかなり精通していた事を思い出して、兄貴と酒を飲みながら母の鼻歌を想い出すのです…。