院長の独り言 119 ; ゆとり教育と詰め込み教育の狭間で…

日本の義務教育期間は現在、6年プラス3年の9年間です。

公立小・中学校ではゆとり教育と称して、子供達に『考えさせる教育』をしていたのだそうです。

応用力を養うのが目的との事です。

また、私立の所謂、受験校では、公立の学校を傍目に、詰め込み教育を行っています。

大人でも知らない難しい事柄を覚えさせるのだそうです。

進学校に入学させ、一流大学に合格させる為なのでしょうか。

そこで、私の教育論。

小生の勝手な考察が許されるとするならば、公立校の『ゆとり教育』は勿論、私立校の『詰め込み主義の教育』も、決して良い教育方法とは思えません。

応用力を付けるなら、高校に入学してからで十分な気がしますし、詳細で難解な事を教えるのも高校に入ってからで十分と思うのですが…。

大分前のブログで紹介しましたが、われわれモンゴロイドは脳の十分な成熟にヨーロッパ系の人達より多くの時間が必要と言われていますし、歳にして30歳頃でもまだ脳が成長している可能性が有るのです。

小学生の時に慌てて、『考えさせる教育』を授ける事が脳に良い影響をもたらすとは思えないのです。

余程注意していないと、子供は大人の真似をして、変にマセるだけかも知れません。

子供は子供らしくて純粋さが取り柄です。

同じ理由でやはり、沢山の事柄を詰め込ませる事が果たして本当に脳にとって良い事なのでしょうか。

大変疑問です…。

脳に知識を貯め込む場所が疲れてしまわないのでしょうか。

詰め込み教育に付いていける子供には良いかも知れませんが、やはり個人差が有るので、オクテの子供は現在の教育システムでは取り残される可能性が大きいと思われるのです。

もし、オクテの子供を潰しているとしたら、現行の教育は良くないと云う事になります。

自分が勝手に思うのですが、小学生時代で一番大切な事は、大いに野山で遊ぶ事、多種な本を沢山読む事、礼儀作法を身に付ける事、そして友達をいたわるなど優しい心を育てる事で、キチンと世の中で生きていく為の生活力と道徳教育を施す事に尽きるような気がするのです。

小学校の勉強は、読み書きと算数の基本的な事柄が出来れば十分ではないでしょうか。

60年前の自分達、小学生は、礼儀作法など道徳教育は受けましたが、学校では読み書きと簡単な数学を勉強して、殆どの時間は外で遊んでいました。

だからと言って、当時の子供が大人になっても、社会に迷惑をかけている人ばかりでは有りません。

小・中学生の頃、遊んでいても高校、大学で難しい勉強をこなしました。

却って、小さい時に遊んだ反動で、大きくなってから勉強する気になったのかも知れません。

自然の中で遊び、時には絵を描き、音楽に親しむ事で、脳が刺激を受けて、色々な事を受け入れる十分な容積が造られるのではないでしょうか。

自分で振り返っても、小・中学生の時に自然の中で遊びまくっていて、本当に良かったと思います。

そして、道徳教育をシッカリと受けた事にも感謝しています。

更に小・中学校時代、今、考えて特に良かったと思う事は、本を沢山読んだ事です。

詰め込み教育なんか受けた覚えは有りません…。

親父は玩具をほとんど買ってくれませんでしたが、本だけは読みたいと言うと、直ぐ買って呉れました。

今になって、心の底から本当に感謝しています。

社会生活上は、小学校で勉強した読み書き算数だけで、困る事はまず無いでしょう。

大人になって色々な研究分野に進みたい人たちは、高校や大学で数学や物理化学などを究めれば良いのであって、一般社会での日常生活では、微分積分、因数分解、分子学、原子学などは殆ど必要無いのでは…と思います。

恥ずかしい話ですが、微分積分はこの年になって殆ど忘れてしまいました…。

正直な話、その事で日常生活上、困った事は全く有りません。

しかし、今時の親御さんと教育について、上記のような持論を開陳すると、決まって『そのような事は分かっている!』と言います。

では、何が詰め込み教育の元凶なのでしょうか…。

実は、小・中学生の子供に無理をして頑張らせる親の目的は、良い高校そして一流大学に行かせる事以外に、もっと深刻な問題が背景にあるのです。

公立校に入った子供がいじめに遭ったり、悪い仲間に引きずり込まれるのではないかと心配しているのです。

今時の親御さんが思っている良い高校とは決して、単純に、『勉強が出来る生徒が多い学校』では無いのだと思います。

いじめなどの対人関係で、わが子が傷つかないように…といった親心からなのです。

その様な学校に入る為に、小学校からガリ勉なんて、アホくさい話と思えませんか。

ガリ勉をしたければ、高校に入ってからで遅く有りません。

昔のように、小・中学校の時にキチンと学校の勉強をこなし、道徳教育を受けさせていれば、どんな高校に行ったとしても、親が心配するような事態は殆ど起きないと思います。

どうして、国も学校も、どこの高校に行っても、親が安心出来るようにしないのでしょうか。

また、その為の道徳教育を、小・中学校時代に早く実行しないのでしょうか。

たとえ、経済的などの理由で中学を卒業して、直ぐに社会に出たとしても、基本的な読み書きが出来て、真面目な少年少女で有れば、その先の長い人生、何の心配も無いと思います。

勉強が好きで大学に行きたかったら、高校に入ってから、好きな科目の勉強などの応用力をゆっくりと身に付ければ良いのではないでしょうか。

勉強が苦手でも、真面目で純粋に、仕事に打ち込める若者に育てば、社会は大歓迎です。

そして、日本国も大丈夫に決まっています!

常識程度の読み書き算数が出来れば十分でしょう。

結論として、義務教育時代は、清く正しく朗らかな道徳教育の下、読み書き算数を基本に、そして、伝記、科学、生物、歴史、また漱石、鴎外、藤村、一葉や啄木などの作家の名作を中心に、多種な分野の本を読み、日本人として誇りと自信と優しさを持った人間に育てるための準備期間だと思うのですが…。